想は知力の逸楽である。思索を追ってその後に夢想を据えるのは、食物に毒を混ずるに等しい。
マリユスは読者の記憶するとおり、まずそういう道をたどっていった。情熱が襲ってきて、ついに彼を対象のない底なき夢幻のうちにつき落としてしまった。家を出るのはただ夢を見に行くためばかりである。無用のものを産むばかりである。騒擾《そうじょう》と沈滞との淵《ふち》である。そして仕事が減ずるとともに、欠乏は増加していった。それは自然の法則である。人は夢想の状態にある時、必然に放埒《ほうらつ》となり柔惰となる。弛緩《しかん》した精神は張りつめた生活を保つことができない。そういう生活態度のうちには、善と悪とが混在している。柔弱は有害であるとしても寛大は健やかで有益だからである。しかしながら、働くことをしない寛大で高貴で貧しい人はもはや救われることができない。収入の源は涸《か》れ、必要のものは多くなる。
それこそ致命的な坂であって、最も正直な者も最も堅固な者も、最も弱い者や最も不徳な者と同じくすべり落ちて、ついには二つの穴のいずれかへ、自殺か罪悪かのいずれかへ陥るのほかはない。
夢想しに行かんがために家をいでながら、ついには水に身を投ぜんがために家を出る日が到来する。
過度の夢想はエスクースやルブラのごとき人物を作り出す([#ここから割り注]訳者注 共同して戯曲を書きその劇が失敗して悲観の余り自殺せる人[#ここで割り注終わり])。
マリユスは見失った彼女の上に目を据えながらそういう坂を徐々に下っていった。とこう言うのは少し変ではあるがしかし事実である。目前にいない者の追想は心のやみの中に輝き出す。深く姿を消せば消すほどますます輝いてくる。絶望した暗い心は自分の地平にその光輝を見る。内心の暗夜に光る星である。彼女[#「彼女」に傍点]、そこにマリユスのすべての思いがあった。彼は他のことをいっさい頭に浮かべなかった。彼はただ漠然《ばくぜん》と感じた、古い上衣は既に着れなくなり、新しい上衣は古くなり、シャツはすり切れ、帽子は破れ、靴《くつ》は痛んでいることを、すなわち自分の生活が摩滅していったことを。そして彼は自ら言った、「死ぬ前にただ彼女に再び会うことができさえするならば!」
楽しいただ一つの考えが彼に残っていた、彼女が自分を愛していたこと、彼女の目つきがそれを自分に告げたこと、彼女は自分
前へ
次へ
全361ページ中45ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング