》もないんだな。さあ、これでもまあ着るがいい。」
 そして首に巻いていた暖かい毛織りの肩掛けをはずし、それを乞食娘《こじきむすめ》のやせた紫色の肩の上に投げてやった。それで首巻きはまた再び肩掛けに戻ったわけである。
 娘はびっくりしたようなふうで彼をながめ、黙ったまま肩掛けを受け取った。ある程度までの困苦に達すると、人は呆然《ぼうぜん》としてしまって、もはや虐待を訴えもしなければ、親切を謝しもしなくなるものである。
 それからガヴローシュは「ぶるる!」と脣《くちびる》でうなって、聖マルティヌス([#ここから割り注]訳者注 中古の聖者[#ここで割り注終わり])よりもいっそうひどく震え上がった。聖マルティヌスは少なくとも、自分のマントの半分は残して身につけていたのである。
 その「ぶるる!」という震え声に、驟雨は一段ときげんを損じて激しくなってきた。この悪者の空はかえって善行を罰する。
「ああ何てことだ。」とガヴローシュは叫んだ。「またひどく降り出してきたな。このまま降り続こうもんなら、もう神様なんてものも御免だ。」
 そして彼はまた歩き出した。
「なあにいいや。」と彼は言いながら、肩掛けの下に身を縮めてる乞食娘の方に一瞥《いちべつ》をなげた。「あすこにだってすてきな着物を着てる女が一匹いらあ。」
 そしてこんどは雲をながめて叫んだ。
「やられた!」
 ふたりの子供は彼のあとに並んで歩いていた。
 人は通常パンを黄金のように鉄格子の中に置くものであって、密な鉄格子はパン屋の店を示すものであるが、彼らがそういう一つの窓の前を通りかかった時、ガヴローシュは後ろをふり向いた。
「おい、みんな飯を食ったか。」
「朝から何にも食べません。」と年上の子供が答えた。
「じゃあ親父《おやじ》も親母《おふくろ》もないのか。」とガヴローシュはおごそかに言った。
「いいえ、どっちもありますが、どこにいるかわからないんです。」
「それはわかってるよりわからない方がいいこともある。」と思想家であるガヴローシュは言った。
「もう二時間も歩き回ってるんです。」と年上の方は言い続けた。「町角《まちかど》でさがし物をしてたけれど、わからないんです。」
「あたりまえさ、犬がみんな食ってしまうんだ。」とガヴローシュは言った。
 そしてちょっと口をつぐんだ後、彼はまた言った。
「ああ俺たちは産んでくれた者を失
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