爺さんはなお地面に目を落としたままだったが、ついに返事をした。
「何だね、プリュタルク婆さん。」
「プリュタルク婆さん、これもおかしな名前だな、」とガヴローシュは思った。
 プリュタルク婆さんは言い出した、そして爺《じい》さんも言葉を発しなければならなくなった。
「家主が怒っておりますよ。」
「どうして?」
「三期分たまっていますから。」
「もう三月《みつき》たつと四期分になるさ。」
「追い出してしまうと言っておりますよ。」
「出てゆくさ。」
「八百屋《やおや》のお上さんも払ってくれと言っております。もう薪《まき》もよこしてくれません。今年の冬は何で火をたきましょう。薪が少しも手にはいりませんよ。」
「太陽があるよ。」
「肉屋も掛け売りをことわって、もう肉をよこそうとしません。」
「それはちょうどいい。わしにはどうも肉はよくこなれない、もたれてね。」
「でも食事にはどうなさいますか。」
「パンだよ。」
「パン屋も勘定をせがんでおります。金がなければパンもないと言います。」
「いいさ。」
「では何を食べますか。」
「この木になる林檎《りんご》がある。」
「でも旦那様《だんなさま》、このようにお金なしでは暮らしていけません。」
「といって一文なしだからね。」
 婆さんは行ってしまって、老人が一人残った。彼は考え込み始めた。ガヴローシュの方でも考え込んだ。もうほとんど夜になっていた。
 考えた結果ガヴローシュはまず、生籬《いけがき》を乗り越すことをやめて、その下にもぐり込んだ。茂みの下の方に少し枝のすいてる所があった。
「おや、ちょうどいい寝場所だ!」とガヴローシュは心の中で叫んで、そこにうずくまった。彼の背中はほとんどマブーフ老人のベンチに接するほどになって、その八十翁の息まで聞くことができた。
 そして彼は食事にありつかんために一寝入りしようとした。
 それは猫《ねこ》の居眠りであり、片目の微睡であった。うつらうつらしながらガヴローシュは待ち受けていた。
 薄ら明りの空の光は地面にほの白い光を送って、小路は暗い二条の叢《くさむら》の間に青白い線を描いていた。
 突然その青白い一筋の道の上に、二つの人影が現われた。一つは先に立ち、一つは少しあとに離れていた。
「ふたりの男がやってきたぞ。」とガヴローシュはつぶやいた。
 先頭の人影は年取った市民らしく、少し前かがみに何か
前へ 次へ
全361ページ中104ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング