。ウェリントンはワーテルローの村に行って、バサースト卿への報告をしたためた。
 かく汝働けども[#「かく汝働けども」に傍点]、そは汝自らのためにはあらず[#「そは汝自らのためにはあらず」に傍点]という格言([#ここから割り注]訳者注 他人の功を横取りする場合に言う[#ここで割り注終わり])を、もし実際に適用し得るならば、それはまさしくこのワーテルローの村に対してであろう。ワーテルローの村はただ手をこまぬいていて、戦地をへだたる半里の所にあった。モン・サン・ジャンは砲撃され、ウーゴモンは焼かれ、パプロットは焼かれ、プランスノアは焼かれ、ラ・エー・サントは強襲され、ラ・ベル・アリアンスは二人の勝利者の抱擁するのを見た。しかしそれらの名前はほとんど世に知られないで、戦いに少しも働かなかったワーテルローがすべての名誉をになっている。
 われわれは戦争に媚《こ》びる者ではない。機会あらばその真相を告げ知らしてやろうとする者である。戦争に恐るべき美の存することを、われわれは隠さずに述べてきた。しかしまた多少の醜悪も存することを認めなければならない。その最もはなはだしい醜悪の一つは、戦勝ののち直ちに死者のこうむる略奪である。戦いに次いで来る曙は常に、裸体の屍《かばね》の上に明けゆくものである。
 そういうことをなす者はだれであるか。かく戦勝を汚す者はだれであるか。勝利のポケットの中に差し入れらるるそのひそやかな醜い手はいかなるものであるか。光栄の背後にひそんで仕事をなすそれらの掏摸《すり》は何者であるか。ある哲学者らは、なかんずくヴォルテールは、それはまさしく光栄をもたらしたその人々であると断言する。彼らは言う、それはその人々にほかならない、代わりの者はいないのである、立っている者らが、倒れてる者らを略奪するのである。昼間の英雄は、夜には吸血鬼となる。要するに、おのれの殺した死骸が所持するものを多少略奪することは、まさしく正当の権利であると。しかしながら、われわれはそれを信じない。月桂樹《げっけいじゅ》の枝を折り取ることと死人の靴を盗むこととは、同一人の手には不可能事であるようにわれわれは思う。
 ただ一つ確かなことは、普通勝利者の後に盗人が来るということである。しかしながら、兵士は、ことに近代の兵士は、この問題の外に置きたいものである。
 あらゆる軍隊は一つの尾を持っている。その者どもこそ、まさしく責むべきである。蝙蝠《こうもり》のごとき者ども、半ば盗賊であり半ば従僕である者ども、戦争と呼ばるる薄明りが産み出す各種の蝙蝠、少しも戦うことをしない軍服の案山子《かがし》、作病者、恐るべき跛者、時としては女房どもとともに小さな車にのって歩きながら酒を密売しそれをまた盗み歩くもぐり商人、将校らに案内者たらんと申し出る乞食《こじき》、風来者の従卒、かっさらい、それらの者どもを、行進中の軍隊は昔――われわれは現代のことを言ってるのではない――うしろに引き連れていた。専門語ではそれをうまくも「遅留兵」と呼んだものである。その者どもについての責任は、どの軍隊にもどの国民にもなかったのである。彼らはイタリー語を話してドイツ軍に従い、フランス語を話してイギリス軍に従うたぐいの奴らである。フェルヴァック侯爵が、むちゃなピカルディー語のために欺かれてフランス人だと思い込み、チェリゾラの勝利の夜、同じ戦場にて暗殺され略奪されたのも、かかる惨《みじ》めな奴《やつ》らの一人、フランス語を話すスペイン人の一遅留兵のためにであった。略奪から賤夫《せんぷ》が生まれる。敵によって糧を得よ[#「敵によって糧を得よ」に傍点]という賤《いや》しむべき格言は、この種の癩病《らいびょう》やみを作り出した。それをなおすにはただ厳酷な規律あるのみである。だが往々、およそ名実伴わぬ高名の人がいるものである。某々の将軍は実際えらいには違いないが、何ゆえにかくも人望があったのか、その理由がわからぬこともしばしばある。テューレンヌは略奪を許したので兵卒どもに賞揚された。悪事の黙許は親切の一部である。テューレンヌはパラティナの地を兵火と流血とにまみらしめたほど親切であった。軍隊の後方における略奪者の多寡《たか》はその司令官の苛酷《かこく》に反比例することは、人の見たところである。オーシュおよびマルソー両将軍には少しも遅留兵がなかった。ウェリントンにはそれが少ししかなかった。この点について、われわれは喜んで彼に公平なる賛辞を呈するものである。
 それでもなお六月十八日から十九日へかけての夜、死人は続々略奪をこうむった。ウェリントンは厳格であった。現行を見い出したならば直ちに銃殺すべしとの命令を下した。しかし劫奪《ごうだつ》は執拗《しつよう》であった。戦場の片すみに銃火のひらめいてる間に盗人らは他の片す
前へ 次へ
全143ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング