さが》ない人々はかろうじて、こんな苦しいことを言い出した、「つまり彼は一種の山師だ。」
 前に述べたとおり、その地方は多く彼のお陰を被むり、貧しい人々はすべてにおいて彼のお陰を被っていた。彼はかく世に有用な人だったので、ついに人々は彼を尊敬するようになり、また彼はひどく穏やかな人物だったので、人々はついに彼を愛するようになった。特に彼から使われてる職工らは彼を崇拝した、そして彼はその崇拝を受くるに一種の憂鬱《ゆううつ》な重々しい態度をもってした。彼が金持ちだということが一般に知れ渡ると、「社交界の人々」は彼に頭を下げ、町では彼をマドレーヌ氏と呼んだ。が彼の職工や子供たちはやはりマドレーヌさん[#「マドレーヌさん」に傍点]と呼んでいた。そして彼はその呼び方の方を喜んでいた。彼の地位が高まるにつれて、招待は降るがようにやってきた。「社交界」は彼を引き入れようとした。モントルイュ・スュール・メールの気取った小客間は、初めのうちは言うまでもなくこの職人には閉ざされていたが、今ではその分限者に向かって大きく開かれた。その他百千の申し出があった。しかし彼はそれをみな断わった。
 そういうことになっても、人の陰口はやまなかった。
「彼は無学であまり教育のない男だ。いったいどこからやってきた奴《やつ》かわかりもしない。上流社会に出ても作法も知らないのだろう。字が読めるということの証拠さえないじゃないか。」
 彼が金をもうけるのを見た時には、人々は言った、「彼奴《あいつ》は商人だ。」彼が金をまき散らすのを見ては人々は言った、「彼奴は野心家だ。」彼が名誉を辞退するのを見ては人々は言った、「彼奴は山師だ。」また彼が社交界を断わるのを見ては人々は言った、「彼奴は下等な人間だ。」
 彼がモントルイュ・スュール・メールにやってきて五年目に、すなわち一八二〇年に、その地方における彼の功績は赫々《かくかく》たるものがあり、その地方の衆人の意見も一致していたので、国王は再び彼を市長に任命した。彼はこのたびもまた辞退した。しかし知事はその辞退を受けつけず、知名な人々は彼のもとに懇願にき、一般の人たちは大道で彼に哀願し、それらの強請がいかにも激しくなったので、彼もついに職を受けることになった。ことに彼をそう決心さしたのは、卑しい一人の年寄った婦人がほとんど怒ったような調子で彼に浴びせかけた言葉だったらしいということである。その女は門口の所で強く叫びかけた、「いい市長さんがあるのは大事なことです[#「いい市長さんがあるのは大事なことです」に傍点]。人間は自分のできるよいことをしないでいいものでしょうか[#「人間は自分のできるよいことをしないでいいものでしょうか」に傍点]。」
 かくてそれは彼の立身の第三段であった。マドレーヌさんはマドレーヌ氏となり、マドレーヌ氏は市長殿となったのである。

     三 ラフィット銀行への預金額

 けれども彼はなお初めのほどと同じように質朴だった。灰色の髪、まじめな目付き、労働者のように日に焼けた顔色、哲学者のように考え深い顔付き。いつも縁広《ふちびろ》の帽子と、えりまでボタンをかけた粗末なラシャの長いフロックコート。市長たるの職務を尽しはしたが、それ以外には孤独な生活を送っていた。人にもあまり言葉をかけなかった。丁重な仕方をすべて避け、簡単なあいさつにとどめ、さっさと行ってしまい、話をするよりもむしろただほほえみ、ほほえむよりもむしろ金を与えた。女たちは彼のことを言った、「何という人の良い世間ぎらいだろう!」彼の楽しみは野外を散歩することだった。
 彼は書物を前に開いて読みながら、いつも一人で食事をした。よく精選された少しの書籍を持っていた。書物を愛していた。書物は冷ややかではあるが完全な友である。財産とともに暇ができるにつれて、彼は自分の精神を啓発するのにその時間を使ったらしかった。モントルイュ・スュール・メールにきて以来、一年一年といちじるしく彼の言葉は丁寧になり、上品になり、優しくなっていった。
 彼は散歩の時好んで小銃を持って出たが、それを使うのは稀《たま》にしかなかった。たまたまそれを使うような時には、その射撃は当たらないということがなく、人を恐れさせるほどだった。かつて彼は無害な動物を殺さなかった。またかつて彼は小鳥を撃たなかった。
 もはや若いとは言われない年齢だったが、彼は非常な大力をそなえてるということだった。必要な者には手助けをしてやって、たおれた馬を起こしてやったり、泥濘《でいねい》にはまった車を押してやったり、逃げ出した牡牛《おうし》の角をつかんで引き止めてやったりした。家を出かける時はいつもポケットに金をいっぱい入れていたが、帰って来る時にはみな無くなっていた。彼が村を通る時には、襤褸《ぼろ》を着た子供たちが喜ばしそうに彼の後を追っかけてき、蠅《はえ》の群れのように彼を取り巻いた。
 彼は以前|田舎《いなか》に住んでいたに違いないと思われた。なぜなら、あらゆる有益な秘訣《ひけつ》を知っていて、それを百姓どもに教えてやったからである。麦の虫を撲滅するために、普通の塩水を穀倉に撒布《さんぷ》しまた床板《ゆかいた》の裂け目に流し込んでおくことを教えたり、穀象虫を駆除するために、壁や屋根やかき根や家の中などすべてにオリヴィオの花をつるしておくことを教えたりした。空穂草や黒穂草や鳩豆《はとまめ》草やガヴロールや紐鶏頭《ひもけいとう》など、すべて麦を害する有害な雑草を畑から根絶させるための種々な「処方」を知っていた。また養兎《ようと》場に天竺鼠《てんじくねずみ》を置いてそのにおいで野鼠の来るのを防がした。
 ある日彼は、その地方の人々が一生懸命に蕁麻《いらぐさ》を抜き取ってるのを見かけた。その草が抜き取られて、うずたかく積まれながらかわき切ってるのをながめて、彼は言った。「もう枯れてしまってる。だがその使い道を心得ておくのはいいことだ。この蕁麻《いらぐさ》はその若い時には、葉がりっぱな野菜となる。時がたつと、苧《からむし》や麻のように繊維や筋がたくさんできる。蕁麻の織物は麻の布と同じようだ。また細かく切れば家禽《かきん》の食物にいい。搗《つ》き砕けば角のある動物にいい。その種を秣《まぐさ》に混ぜて使えば動物の毛並みをよくする。根は塩と交ぜれば黄色い美しい絵具《えのぐ》となる。そのうえ蕁麻はりっぱな秣で二度も刈り取ることができる。作るにしても何の手数もいらない。少しの地面さえあれば、手入れをすることもいらないし、地面を耕す必要もない。ただその種子は熟すにつれて地に落ちるので、収穫に少し困難である。ただそれだけのことだ。ちょっと手をかけてやれば、蕁麻《いらぐさ》はごく益《やく》に立つんだが、うっちゃっておけば害になる。害になるようになって人はそれを枯らしてしまう。人間にもまったく蕁麻に似たものが随分ある!」それからちょっと黙って彼はまたつけ加えた。「よく覚えておきなさい、世には悪い草も悪い人間もいるものではない。ただ育てる者が悪いばかりだ。」
 子供たちはいっそう彼が好きであった。麦藁《むぎわら》や椰子《やし》の実《み》でちょっとしたおもしろい玩具《おもちゃ》をこしらえてくれたからである。
 教会堂の戸に黒い喪の幕がかかっているのを見ると、彼はいつもそこにはいって行った。ちょうど人々が洗礼式をさがすように、彼は埋葬をさがした。また優しい心を持っていたので、寡婦暮《やもめぐら》しや他人の不幸に彼は心をひかれた。喪装の友だちや、黒布をまとった家族や、柩《ひつぎ》のまわりに悲しんでる牧師らに、彼はよく立ち交じった。他界の幻に満ちたあの葬礼の哀歌に、喜んで自分の考えをうち任してるようだった。目を天に向け、無限のあらゆる神秘に対する一種のあこがれの情をもって彼は、死の暗い深淵の縁に立って歌うそれらの悲しい声に耳を傾けた。
 彼はたくさんの善行をなしたが、悪事を行なう時人が身を隠してするように、ひそかにそれをなした。彼は人知れず夕方多くの人家にはいり込み、そっとはしご段を上っていった。あわれな人が自分の屋根裏に帰って来ると、自分の不在中に戸が開かれてるのを見いだす。それも時としては無理にこじあけられてるのである。彼は叫ぶ、「ああどんな悪者がきたんだろう!」しかるに家にはいって最初に見出すところのものは、家具の上に置き忘れられてる金貨である。そこにやってきた「悪者」は、実にマドレーヌさんであった。
 彼は慇懃《いんぎん》でまた悲しげなふうをしていた。人々は言った。「あの人こそは金持ちであっても傲慢《ごうまん》でなく、幸福であっても満足のふうをしていない。」
 ある人々は、彼をもって不可思議な人物と見なし、決してだれもはいったことのない彼の室には、翼のついた砂時計が備えられ、十字に組み合わした脛骨《けいこつ》や死人の頭蓋骨《ずがいこつ》などが飾られていて、いかにも隠者の窖《あなぐら》のようだと言った。その噂は広く町にひろがって、ついにはモントルイュ・スュール・メールのりっぱな若い婦人で意地の悪い者が四、五人集まって、ある日彼の家を訪れて彼に願った。「市長さん、あなたのお室を見せて下さいな。世間では洞窟《どうくつ》だと言っていますから。」彼はほほえんで、即座にその「洞窟」へ彼女らを導いた。彼女らは好奇心のためにまったくばかを見た。普通ありふれたかなり粗末なマホガニー製の器具が簡単に並べられ十二スーの壁紙が張られてる室にすぎなかった。そして彼女らの目に止まったものとしてはただ、暖炉の上にある古い型の燭台二つだけで、「調べてみると」銀でできているらしかった。いかにも小さな町に住んでる者にふさわしい注意である。
 それでもなお、彼の室にはだれもはいった者がなく、それは隠士の洞窟で、穴倉であり、穴であり、墓穴であるといわれていた。
 また人々の陰での噂によると、彼は「莫大な」金をラフィット銀行に預けていて、いつでも自由にできるようになっているということだった。マドレーヌ氏はいつでもその銀行に行って受取証を書きさえすれば、十分とかからぬうちに二、三百万フランは持ち出すことができるということだった。けれども実際においては、上に述べたとおりその「二、三百万フラン」も六十三、四万フランになっていたのである。

     四 喪服のマドレーヌ氏

 一八二一年の初めに、諸新聞は「ビヤンヴニュ閣下[#「ビヤンヴニュ閣下」に傍点]と綽名《あだな》せられた」ディーニュの司教ミリエル氏の死を報じた。八十二歳をもって聖者のごとく永眠したというのであった。
 新聞に書かれなかった一事をここにつけ加えておくが、ディーニュの司教はその生前数年来盲目であった、そして妹がそばにいてくれるので彼はその盲目に満足していたのだった。
 ついでに言う。盲目にしてしかも愛せられているということは、何も完全なるもののないこの世においては、実に最も美妙な幸福の一である。自分の傍《かたわら》に絶えず一人の女が、一人の娘が、一人の妹が、一人のかわいい者がある。彼女を自分は必要とし、また彼女も自分なしには生きてゆけないのである。彼女が自分に必要であるごとく、自分もまた彼女になくてならない者であることを知る。彼女が自分の傍にいてくれる度数によって、彼女の愛情を絶えず計ることができる。そして自ら言う、彼女がその時間をすべて私にささげてくれるのは、私が彼女の心をすべて占領しているからだと。彼女の顔は見えないけれどもその考えを見る。世界がすべて自分の眼界から逸した中にただ一人彼女の忠実なことを認める。翼の音のような彼女の衣擦《きぬず》れの音を感ずる。彼女が行き、きたり、外出し、帰り、話をし、歌をうたうのを聞く。そして自分は、その歩み、その言葉、その歌の中心であることを思う。各瞬間ごとに、彼女が自分に心|牽《ひ》かれていることがわかる。身体が不具になればなるほどいっそう力強くなるのを感ずる。暗黒のうちに、また暗黒によって、自ら太陽となり、そのまわりにはこの天使が回転している。かくのごと
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