だ一人ファンティーヌだけは、夢みるようななれ難い反発のうちにぼんやり閉じこもっていた、そして恋を心にいだいていた。「あんたは、」とファヴォリットは彼女に言った、「あんたはいつも妙なふうをしてるわね。」
 そこに快楽がある。それらの楽しい男女の遊山は、人生と自然とへの深い呼びかけであり、すべてのものから愛撫《あいぶ》と輝きとを誘い出すのである。かつて一人の魔女がいて、恋する者たちばかりのために野と森とを作った。それで恋人らの永遠の野遊びの学校が初まった。それは絶えず開かれており、木々の茂みと学生とがある間は続くであろう。それで思想家の間に春が名高くなった。貴族も大道の研屋《とぎや》も、華族も平民も、殿上人も町人も、皆その魔女の臣下である。人は笑い楽しみ、互いにさがし求め、賛美の光輝が空中に漂う。愛することはいかに万物の姿を変ずるか! 公証人書記も神となる。そして、かわいい叫び、草の中の追いっくら、急な抱擁、かえって音楽のように響く言葉のなまり、一言のうちにほとばしるその情愛、口から口へ移し合う桜ん坊、それらは皆燃え上がり、天国の栄光のうちに包まるる。美しい娘たちは楽しくその美を浪費する。永久に終わらないもののようである。哲学者も詩人も画家も、ただその恍惚《こうこつ》たる様をながめるのみでなすところを知らない。それほど彼らも眩惑せられるのだ。シテール島([#ここから割り注]訳者注 愛の恍惚の島[#ここで割り注終わり])への出発とワットーは叫び、平民の画家なるランクレーは蒼空《そうくう》に翔《か》け上る市民らをうちながめ、ディドローはそれらの情愛をとらえんとて手を伸ばし、デュルフェーはそれにゴールの祭司をささえしめた。
 昼食の後に四組みの男女は、当時王の花壇と呼ばれていた所に、インドから新たにきた植物を見に行った。今ちょっとその名は忘れたが、当時それはサン・クルーにパリー中の人を引きつけたものだった。幹の高い不思議な面白い灌木《かんぼく》で、無数の細かな枝が糸のようでうち乱れ、葉はなく、たくさんの小さな白い花形のもので蔽《おお》われていた。そのため木は一面に花の咲いた毛髪のような観を呈していた。いつもそれを嘆賞してる大勢の人がいた。
 その灌木を見てから、トロミエスは叫んだ、「驢馬《ろば》に乗せてあげよう!」驢馬屋に賃金をきめて、彼らはヴァンヴとイッシーとの道から戻ってきた。ところがイッシーでおもしろいことがあった。当時、陸軍御用商人ブウルガンの所有であったその公園ビヤン・ナシオナルは、偶然にもすっかり開かれていた。彼らは門をはいって、洞窟《どうくつ》の中のばかの隠者を見、有名な鏡の間の不思議な働きをためしに行った。そこはある半羊神が百万の富者になり卑しいチュルカレーがプリアプ神になったという話しにふさわしい、淫猥《いんわい》な陥穽《あな》だった。また彼らはベルニス修道院長が祝福した二本の栗《くり》の木にゆわえられてる、大きな綱のぶらんこを激しくゆすった。トロミエスが美人連を代わる代わるぶらんこにのせて揺すると、ちょうどグルーズの好んで画いた絵のようにその裾《すそ》がまくれるので、皆ははやし立てた。そしてツウルーズはスペインのトロサと関係があるので、ツウルーズ生まれで多少スペインと縁のあるトロミエスは、愁《うる》わしい調子で古いスペインの小唄《こうた》ガレガ[#「ガレガ」に傍点]を歌った、おそらく二本の木の間の綱の上に勢い込めて揺られてる美しい娘から感興を得たのであろう。

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わたしの生まれはバダホース。
恋というのがわたしの名。
わたしの心は
みんなわたしの目の中に、
ほんにかわいい
お前の足が出てるから。
[#ここで字下げ終わり]

 ただファンティーヌだけはぶらんこに乗らなかった。
「あんなふうに気取ってるのはあたし大きらい。」とファヴォリットはかなり手酷《てひど》くつぶやいた。
 驢馬《ろば》をすてても、やはりまたおもしろかった。彼らは船でセーヌ河を渡り、パッシーから歩いてエトアール市門まで行った。読者は記憶しているであろうが、彼らは朝の五時から起き上がっていたのである。けれども、「なあに日曜には[#「日曜には」に傍点]疲《くたび》れることなんかないわ[#「ることなんかないわ」に傍点]、」とファヴォリットは言った、「日曜には疲れもお休みだわ[#「日曜には疲れもお休みだわ」に傍点]。」そして三時ごろに、楽しみに夢中になってる四組みの男女は、ロシアの山をかけおりた。ロシアの山というのは、当時ボージョンの高地に立っていた奇妙な建造物で、シャン・ゼリゼーの並み木の上にその波状をなした線が見えていたものである。
 時々ファヴォリットは叫んだ。
「そしてびっくりするようなものというのは! あたしそれを早く知りたいわ。」
「まあ待っといでよ。」とトロミエスは答えた。

     五 ボンバルダ料理店

 ロシアの山を遊びつくして、彼らは夕食のことを考えた。そしてその愉快な八人組みも、ついに少し疲れを覚えて、ボンバルダ料理店へ引き上げた。それは当時デロルム路地の側にリヴォリ街に看板を出していたあの有名な料理屋のボンバルダが、シャン・ゼリゼーに出している支店であった。
 奥に寝所と寝台とのある大きいしかしきたない室で(日曜で客の多い時だったのでそんな所でも我慢しなければならなかったのである)、二つの窓があり、窓からは楡《にれ》の木立ちを透かして河岸と川とを見渡すことができた。八月のうららかな日光が窓に軽く当たっていた。二つのテーブルがあって、その一つには、男女の帽子に交じって花環《はなわ》が山のように積まれ、他のテーブルには、大皿と小皿や杯やびんなどが楽しげに並べられて、そのまわりに四組みの男女はすわっていた。ビールのびんはぶどう酒のびんと入れ交じっていた。食卓の上にはほとんど秩序がなく、その下にも狼藉《ろうぜき》があった。

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彼らはテーブルの下に音を立つ、
足を触れ合うおぞましき音を。
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とモリエールは言っている。
 以上が、朝の五時に初まった遊山の午後四時半ごろの有り様であった。日は傾き、彼らの食欲も満たされた。
 シャン・ゼリゼーは日の光と群集とに満ちて、輝きと塵《ちり》とのみだった。その二つこそ光栄を形造るところのものである。マルリーの嘶《いなな》ける大理石の馬は黄金の雲の中におどり上がっていた。四輪馬車がゆききしていた。はなやかな親衛騎兵の一隊は、先頭にラッパを鳴らしてヌイイーの大通りを下っていった。夕日にやや薔薇《ばら》色に染まった白い旗が、チュイルリー宮殿の丸屋根の上にひるがえっていた。当時再びルイ十五世広場と呼ばれていたコンコルドの広場は、満足げな散歩の人をもって満たされていた。多くの者は、銀色の百合《ゆり》の花を波形模様の白リボンに下げて身につけていた。それは一八一七年にもなおボタンの穴につけられてる昔のなごりである。所々に、丸く集まって喝采してる通行人の真ん中に、輪舞《ロンド》の娘らが当時名高かったブールボン派の歌を歌っていた。その歌はナポレオン再挙の百日をのろうために作られたもので、次のような複唱の句を持っていた。

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われらにガンの父を返せ、
われらにわれらの父を返せ。
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 郭外の大勢の人々は、日曜の晴れ着をつけ、稀《たま》には郭内の者のように百合の花をさえつけて、マリーニーの大小の広場に散らかり、輪遊びをしたり、木馬に乗って回ったりしていた。ある者は酒を飲んでいた。活版屋の小僧らは紙の帽子をかぶってるのもあった。人々の笑い興ずる声は遠くまで聞えていた。すべてが喜びに輝いていた。揺るぎなき平和と王党の確かな安泰との時代だった。警視総監アングレーがパリー郭外に関して王にいたした内密な特別報告が次の数行で結ばれた時代であった。「陛下、すべてを考察するにこれらの人民には何ら恐るべきものなし。彼らはむとんちゃくにして怠慢なること猫《ねこ》のごとし。地方の下層の人民は不安なれども、パリーのそれはしからず。彼らは皆小人どものみなり。陛下、陛下の精兵一人を作らんがためには彼ら二人を接合するを要すべし。首府の賤民《せんみん》につきては少しも恐るるに足らず。五十年以来彼らの身長なお減じたるは著しきことにして、パリー郭外の者らは革命前よりもいっそう矮小《わいしょう》となれり。更に危険なることなし。要するに、そは愛すべき細民なり。」
 猫が獅子《しし》に変わり得ることもあるとは、警察の長官らは信じない。けれどもそれは可能で、そこにパリー民衆の奇蹟がある。そのうえ猫は、アングレー伯爵からはかくも軽蔑せられたが、古《いにし》えの共和制を尊んでいた。そのために彼らの目には自由の姿が刻み込まれていた。そしてピレウスにある無翼のミネルヴァの像と相対立せしめんがためかのように、コラントの広場には猫の青銅の巨像が立っていた。王政復古の正直な警察は、パリーの人民をあまりに「りっぱ」に見た。が、それは人が信ずるほど「愛すべき[#「愛すべき」は底本では「感すべき」]細民」では決してない。パリー人のフランス人におけるは、アテネ人のギリシャ人におけるがごときものである。彼らほどよく眠る者はなく、彼らほど公然と軽佻《けいちょう》で怠惰なるものはなく、彼らほど忘却のふうを多く有するものはない。けれどもそれを当てにしてはならない。いかなるむとんちゃくをも現わすが、しかし名誉に関する場合には、あらゆる熱狂を示す。槍《やり》を与うれば八月十日([#ここから割り注]訳者注 一七九三年の[#ここで割り注終わり])の事件を起こし、銃を与うればアウステルリッツの勝利を得る。彼らはナポレオンの支柱であり、ダントンの根拠である。祖国のためには軍籍に入り、自由のためには舗石《しきいし》をもあげて戦う。注意せよ! 怒りに満ちたる彼らの頭髪は叙事詩的であり、彼らの上着は古ギリシャの外套にも似る。注意せよ。グルネタ([#ここから割り注]訳者注 パリー[#ここで割り注終わり])のあらゆる街路は、彼らの手によって恐ろしき刃の関所となるであろう。一度時機きたらば、その郭外の住民は大きくなり、その矮小なる男は立ち上がり、恐ろしき目をもってにらみ、吐く息は暴風となり、その狭いあわれなる胸からは、アルプス連山の起伏をも動かすほどの風が出るであろう。フランス革命が、軍隊の力をも借りはしたが、欧州を席巻したのは、パリー郭外の人民の力によってである。彼らは歌う、それが彼らの楽しみである。彼らの歌をしてその天性に応ぜしめよ、しからばわかるであろう。その複唱句としてカルマニョールをのみ与うれば、彼らはただルイ十六世をくつがえすのみ。マルセイエーズを歌わしむれば、彼らは世界を解放せん。
 アングレーの報告の余白に以上のことを付記して、われわれはまたわが四組みの男女のことに帰ろう。前に言ったとおり、晩餐《ばんさん》は既に終わりかけていた。

     六 うぬぼれの一章

 食卓の雑話、恋のさざめき。いずれ劣らぬ捕え難いものである。恋のさざめきは雲であり、食卓の雑話は煙である。
 ファムイュとダーリアとは鼻歌を歌っていた。トロミエスは酒を飲んでいた。ゼフィーヌは笑い、ファンティーヌはほほえんでいた。リストリエはサン・クルーで買った木のラッパを吹いていた。ファヴォリットはやさしくブラシュヴェルをながめて言った。
「ブラシュヴェル、あたしあんたをほんとに愛してよ。」
 その言葉はブラシュヴェルの質問をひき起こした。
「もし僕がお前を愛さなくなったら、ファヴォリット、お前はどうするんだい。」
「あたし!」とファヴォリットは叫んだ。「ああ、そんなことおよしなさいよ、冗談にも! もしあんたがあたしを愛さなくなったら、あたし追っかけて、しがみついて、引っ捕えて、水をぶっかけてやるわ、警察に捕えてもらうわ。」
 ブラシュヴェルは自負心に媚《こ》びられた者のように嬉しげににやりと笑った。ファヴォリ
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