病院に普通のやり方だった。
 けれども後年になってマグロアールは、いずれそれは後に語ることではあるが、バティスティーヌ嬢の室には、その白塗りの壁紙の下に絵画があるのを見い出した。施療院になる前、この建物は市民の集会所であった。それでそういう装飾がなされたものであろう。各室は皆赤い煉瓦《れんが》で敷かれていて、それは毎週洗われ、また寝台の前には藁で編んだ蓆《むしろ》が置かれていた。その上この住居は、二人の婦人で保たれているので、いたるところ心地《ここち》よいほどきれいであった。それが司教の許した唯一の贅沢だった。彼は言った。「それは貧しい人々から何物をも奪いはしない[#「それは貧しい人々から何物をも奪いはしない」に傍点]。」
 しかしながら、司教には昔の所持品のうちから、銀製の食器類が六組みと大きなスープ匙《さじ》が一つ残っていたことを言わなければならない。それが粗末な白い卓布の上に光り輝いているのを、毎日マグロアールはながめて喜んでいた。そしてここにはディーニュの司教のありのままを描いているのだから、次の一事もつけ加えておかなくてはならない。すなわち彼は一度ならずこう言った。「銀の器で
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