ほかなお庭には、もと施療院の料理場となっていた家畜小屋があったが、司教はそこに二頭の牝牛《めうし》を飼っていた。それから取れる牛乳の量はどんなに少ない時でも、毎朝必ずその半分を施療院の病人たちに送った。「私は自分の十分の一税を払うのである[#「私は自分の十分の一税を払うのである」に傍点]、」と彼は言っていた。
 彼の部屋はかなり広くて、天気の悪い時など暖めるのにかなり困難であった。ディーニュでは薪《まき》がきわめて高かったので、彼は牛小屋のうちに一つの部屋を板で仕切らせることを思いついた。大寒の宵などを彼がすごしたのはそこであった。彼はそれを冬の座敷[#「冬の座敷」に傍点]と呼んでいた。
 この冬の座敷には、食堂と同じように、四角な白木の卓と四つの藁椅子《わらいす》とのほか何の道具もなかった。食堂の方はそれになお顔料で淡紅色に塗られた古い戸棚《とだな》が一つ備えてあった。同じような戸棚を白い布とまがいレースとで適宜におおって、司教は祈祷所《きとうしょ》に備える祭壇を作っていた。
 彼が悔悟をさしてやった金持ちや、ディーニュの信仰深い婦人たちは、しばしば閣下の祈祷所に美しい新しい祭壇を備
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