から大会堂かまたは家の祈祷所かで弥撒《ミサ》を唱えた。弥撒がすむと自家の牛から取った乳につけて裸麦のパンの朝食をし、それから仕事をした。
司教の職は非常に忙しいものである。たいてい司教会員である司教書記を毎日引見し、また管轄の主《おも》な助任司祭をほとんど毎日引見しなければならない。集会を監督し、允許《いんきょ》を与え、祈祷書や教区内の教理問答や日課祈祷書など教理に関するいっさいの書物を調べ、教書を書き、説教を認可し、司祭らと村長らとの間を疎通させ、国家へ施政上の通信をなし、ローマ法王へ宗教上の通信をしたたむるなど、なすべき無数の仕事がある。
それら無数の仕事やそれから祭式や祈祷などをしてなお余った時間を、彼はまず貧しき者や病める者や悩める者のために費やした。そしてなおその残りの時間は仕事に費やした。あるいは自分の庭の土地を耕やし、あるいは書物を読み文を綴《つづ》った。この二種の仕事のために彼は一つの言葉きり持たなかった、すなわちそれを栽培[#「栽培」に傍点]と呼んでいた。彼は言った、「人の精神も一つの庭である。」
正午に彼は昼食をした。それは朝食と同じくらいの粗末なものであった
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