供が連れてきたその婆さんの簡単な言葉に、彼の背には汗が流れた。自分を離した手がやみの中に後ろから現われて、自分を再びつかもうとしているのを、彼は目に見るような気がした。
彼は答えた。
「そうだよ、貸し馬車をさがしてるところなんだが。」
そして彼は急いでつけ加えた。
「しかしこの辺には一台もないよ。」
「ございますさ。」と婆さんは言った。
「どこにあるんだい。」と車大工は言った。
「私どもに。」と婆さんは答えた。
旅客は慄然《りつぜん》とした。恐るべき手は再び彼を捕えたのだった。
婆さんはなるほど一種の籠《かご》馬車を物置きに持っていた。車大工と馬丁とは、旅客が自分たちの手から離れようとしているのに落胆して、言葉をはさんだ。
「ひどいがた馬車だ。――箱がじかに心棒についてやがる。――なるほど中の腰掛けは皮ひもでぶら下げてあるぜ。――雨が降り込むぜ。――車輪は湿気にさびついて腐ってるじゃねえか。――あの小馬車と同じにいくらも行けるものか。まったくのがたくり馬車だ。――こんなものに乗ったら旦那《だんな》は災難だ。」――などと。
なるほどそのとおりであった。しかしそのがた馬車は、そのがたくり馬車は、その何かは、ともかくも二つの車輪の上についていた、そしてアラスまでは行けるかも知れなかった。
旅客は婆さんの言うだけの金を渡し、帰りに受け取るつもりで小馬車の修繕を車大工に頼んで、そのがた馬車に白馬をつけさせ、それに乗って、朝から進んできた道に再び上った。
馬車が動き出した時彼は、自分の行こうとしてる所へは行けないだろうと思って先刻ある喜びの情を感じたことを、自ら認めた。彼は今その喜びの情を一種の憤怒をもって考えてみて、それはまったく不合理だということを認めた。何ゆえにあとに戻ることを喜ばしく感じたのか? 要するに彼は勝手に自らその旅を初めたのではなかったか。だれも彼にそれを強《し》いたのではなかったのだ。
そしてまた確かに、彼が自ら望んでることのほかは何も起こるはずはないのだ。
エダンを去る時に、彼はだれかが呼びかける声を聞いた。「止めて下さい! 止めて下さい!」彼は勢いよく馬車を止めた。そのうちにはなお、希望に似た何か熱烈な痙攣的《けいれんてき》なものがあった。
彼を呼び止めたのは婆さんの子供だった。
「旦那《だんな》、」と子供は言った、「馬車をさがして上
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