彼はも一つ文句を書いていた。「余もまた彼らのごとく医師に非《あら》ざるか。余もまた余が患者を有す。第一に、彼らが病人と称する彼らの患者を余は有し、次に、余が不幸なる者と呼ぶ余の患者を有するなり。」
 他に彼はまたしるした。「汝に宿を求むる者にその名を尋ぬべからず。自ら名乗るに心苦しき者こそ特に避難所を要する人なればなり。」
 ある日のことたまたま、クールーブルーの司祭であったかまたはポンピエリーの司祭であったかちょっとわからないが、あるりっぱな主任司祭が、たぶんマグロアールに説かれてであろう、司教に次のことを尋ねてみた。だれでもはいろうとする人の意のままに昼夜戸を開いておくことは、ある意味において軽率なふるまいとはならないと信ずるのであるか、そしてまた、かくも締りのない家のうちに何か不幸な事が起こりはしないかを恐れないのであるか。すると司教は、おごそかに、しかもやさしく司祭の肩に手を置いて言った。「神が家を守って下さらなければ[#「神が家を守って下さらなければ」に傍点]、人がいかにそれを守っても無益です[#「人がいかにそれを守っても無益です」に傍点]。」それから彼は顧みて他のことを言った。
 彼はよく好んでこんなことを言った。「竜騎兵の隊長の勇気というものがあるように、牧師の勇気というものがある。」またつけ加えて言った。「ただわれわれ牧師の勇気は静かなものでなければならない。」

     七 クラヴァット

 ここに自然、省いてならない一事を述べておかなければならない。それはディーニュの司教がいかなる人物であったかをよく示す事がらの一つだから。
 オリウールの峡路を荒した山賊ガスパール・ベスの一隊が瓦解《がかい》した後、その首領の一人であったクラヴァットという者が山中に逃げ込んだ。彼はガスパール・ベスの仲間の残党である無頼の徒とともに、しばらくニースの伯爵領に身を潜めていたが、それからピエモンの方へ行き、そして突然フランスのバルスロンネットの方面に現われた。ジューグ・ド・レーグルの洞窟《どうくつ》に身を隠して、そこからユベーおよびユベイエットの谷合いを通って村落の方へやってきた。アンブロンまでも出かけてゆき、ある晩などは大会堂に侵入して聖房の品物を奪い去った。その略奪はその地方を悩ました。憲兵をして追跡せしめたが無益であった。彼はいつも巧みに脱し、時としては猛烈な
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