《だんな》様はどんなものでも利用なされますのに、これはまた地面をむだにしていらっしゃいます。花よりはサラダでもお植えなされたがよろしいでしょうに。」司教はそれに答えた。「マグロアール、それは考え違いだよ。美しいものは有用なものと同じように役に立つものだ。」それからちょっと言葉を切って、またつけ加えた。「いやおそらくいっそう役に立つだろう。」
三つか四つの花壇でできているこの第四の区画は、ほとんど書籍と同じくらいに司教の心をとらえていた。木を切ったり草を取ったり、あちこちに地を掘って種をまいたりしながら、喜んでそこに一、二時間を過した。彼は園芸家のように、虫を敵視することがなかった。その上何ら植物学に対して私見を有しなかった。類別や分類などを知らなかった。また少しもトゥールヌフォールの方法と自然栽培法とのいずれかを選ぶこともせず、胞果と子葉《しよう》とのいずれかを取ることもなく、ヂュシユーとリンネとのいずれかの説を取るということもしなかった。彼は植物を研究することもせず、ただ花を愛した。学者をもはなはだ尊敬していたが、なおいっそう無学者を尊敬していた。そして決してこの両者に対する尊敬を失わないで、夏の夕方など毎日青く塗ったブリキのじょうろで花壇に水をやった。
家には錠をおろされる戸は一枚もなかった。前に言ったように、石段もなくすぐに会堂の広場に出られる食堂の戸口は、昔の牢屋《ろうや》の戸口のように錠前と閂《かんぬき》とがつけられていた。が司教はそれらいっさいの金具をとり除いたので、戸口は昼も夜も※[#「金+饌のつくり」、第4水準2−91−37]《かきがね》でしめられるばかりであった。通りかかりの人でも何時たるを問わず、ただそれを押せば開くのだった。初め二人の女はこの締りのない戸口をたいへん心配したが、司教は彼女たちに言った。「もしよければ自分の室に閂をつけさせるがいい。」でついに彼女たちも彼と同様に安心し、また少なくとも安心したふうをするようになった。ただマグロアールだけは恐ろしがった。司教の方は、彼が聖書の余白に自ら書きつけた次の三行の句に、その考えが説明され、もしくは少なくとも示されている。「ここにその微妙なる意味あり。医師の戸は決して閉さるるべからず、牧師の戸は常に開かれてあらざるべからず。」
医学の哲理[#「医学の哲理」に傍点]と題する他の一冊の書物に、
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