二百五十リーヴル
捨児のため…………………………………………五百リーヴル
孤児のため…………………………………………五百リーヴル
 合計………………………………………………三千リーヴル
[#ここで字下げ終わり]

 これがミリエル氏の予算表であった。
 司教区の臨時の収入、すなわち結婚公示免除、結婚免許、灌水《かんすい》式、説教、会堂や礼拝堂の祝祷《しゅくとう》、結婚式、などの収入について、司教はできるだけ多く富者から徴収し、それだけまた貧しい人々に与えた。
 しばらくの後、金銭の寄進が流れ込んできた。金のある者もない者もミリエル氏の門をたたいた。後者は前者が置いていった施与を求めるためである。一年たたないうちに司教は、あらゆる慈善の会計係となり、あらゆる困窮の金庫係となった。莫大《ばくだい》な金額が彼の手を経るようになった。しかしなお彼の生活法は少しも変わるところなく、彼の必要に対して何かが加えられることもなかった。
 いや、それどころではなかったのである。上の者に情けがあるよりも下の者に困窮がある方がいつも多いものであるから、言わばすべてが受けらるる前にまず与えられたのであった。乾《かわ》ききった土地の上の水のようなものだった。いかに彼は金を受け取っても、手には一文もなかった。そういう時、彼は身の衣をもはいだ。
 司教たるものは、すべて宗教上の命令や教書の初めに自分の洗礼名を書く習慣になっていたので、この地方の貧しい人たちは、一種の本能的な愛情よりして、司教の種々な姓名のうちから意味のあるようなのを選んで、彼をビヤンヴニュ([#ここから割り注]訳者注 歓待の意[#ここで割り注終わり])閣下としか呼ばなかった。われわれもこれから彼らの例にならって、場合によっては彼をそう呼ぶことにしよう。その上、この呼び名は彼の気にいっていた。彼は言った、「私はその名がすきだ。ビヤンヴニュという言葉は閣下という言葉を償ってくれる。」
 われわれは、ここに描かれてる彼の面影が真実らしいものであるとは主張しない、ただ本物に似よったものであると言うに止めておく。

     三 良司教に難司教区

 司教はその馬車代を施与に代えてしまったとはいえ、巡回をやめてしまったのではなかった。ディーニュの司教区は困難な土地であった。前に言ったとおり、平地は非常に少なく、山は多く、ほとんど道路という
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