人であった。そしてこの物語は、一八一五年より三二年にいたるフランスの叙事詩である。そこにおいては、愚昧な一|老爺《ろうや》といえども、堕落した一売春婦といえども、みな古代英雄のごとき光輝を放つ。この光輝は実に作者自身の光輝である。叙事詩であるがゆえに、作中の人物もある点まで作者によってその生命を保っていることは、あやしむに足りない。また作品中|生《なま》のままの思想の多いことも、あやしむに足りない。
 ワーテルローにおけるナポレオンの敗戦をもって、作者は神の意志によるものとした。訳者は今ジャン・ヴァルジャンの心の径路をもって、作者ユーゴーの意志によるものとするのである。
 作者は人類を導く上帝の手が「自由」と「正義」とをさすものであると説いている。訳者も今ここにジャン・ヴァルジャンを導いた作者の意図が何であったかを説くべきであろう。しかし訳者は、あえて、それを賢明なる読者の判断に任したい。そしてただ作者の言をここに付記するに止めておく。すなわち、本書のごとき性質の訳書も、「地上に無知と悲惨とがある間は、おそらく無益ではないであろう。」

   一九一七年[#地から2字上げ]豊島与志雄



底本:「レ・ミゼラブル(一)」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年4月16日改版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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