悪だとは認めなかったが、あれは自殺幇助でさえもない、と彼は感じた。それならば、あれはいったい何だったのか。忌わしいものに対する嫌悪、憎悪、それだけではなかったか。そして、そういう感情も、それに伴う半無意識な行動も、人間に許されてる正当な権利ではないか。
そうしたことのために、逮捕され、そして投獄されるのは、実にばかげてる。用心しなければいけないぞ、と彼は自分に言いきかした。
刑務所生活というものは、先ず何よりも、自由の拘束として彼の眼に映じた。贖罪とか悔悛とか、そのようなものではなく、ただ具体的に自由の拘束なのだ。なんとしても忌避すべきだ、と彼は思った。
ところが、他方、彼はひどく当惑した。口を噤めば噤むほど、あのことを公言してみたい欲望が起ってきた。自分一人だけが知ってることだ。自分一人だけが感じたことだ。それをなぜ言ってはいけないのか。誰にも告げずに、胸中に秘めて、永久に密閉しておかなければならないのか。ミダス王の理髪師の悩みを、彼は思った。口外出来ないということも、それ自体、具体的に自由の拘束なのだ。
右にも左にも、自由はなかった。眼隠しをして、真直に歩くより外はなかった
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