からは僅少な不時の収入があり、生活は主として外交員の仕事で立てていたが、彼にとっての重要さは、全くその逆だった。保険会社の外交員ほど下らない職業はないと思って、その職業を選んだのである。随って、仕事に勤勉でも忠実でもなかった。朝は遅くまで寝ていた。
 ところがその朝、なにか気にかかる心地がしたし、室外の空気にざわめきが感ぜられたので、寝床の中に落着けず、起き上ってみた。そして田中さんの一件を知った。
 彼は服装をととのえるとすぐ、一本松のところへ駆けつけた。
 田中さんは衆人にかこまれながら、燃え上る炭俵を見つめていた。一人の警官が、その手を押えていた。
 田中さんは大きな声で叫んだ。
「ここで、何事が起ったか、私は知ってる。」
 ちょっと息をついた。
「亡霊の影が出ることも、私は知ってる。」
 またちょっと息をついた。
「葦なんか茂らしておくからだ。」
 警官をちらと見た。
「警察の怠慢だ。だから私が、葦を焼き捨ててやるのだ。」
 彼はあたりをぐるりと見廻した。そして彦一の顔に眼をとめた。
「うむ、丁度よく来たな。あとは君が焼くんだ。」
 そして彼は安心したのか、もうけろりとした表情
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