ないかとも疑えるし、前から知っていたのではないかとも疑えた。
 然し、その時、彦一ははっと気付いたのである。あのことについて、聊かの罪悪をも彼は感じなかったし、今でも感じてはいない。だが、なにか、ものの影がさしてきたのだ。何ものの影であろうか。得体の知れないその影が、あの現場に立ち罩めているし、それが彼の上にまで覆い被さってくるようだった。
 彼は田中さんを見つめながら言った。
「私の言葉を信じて下さらなければいけません。あれはまったく、私がしたことです。私自身が手を下したのです。その証拠には、あの死体が横たわっていた、一本松の葦の茂みのほとりに、何ものとも知れない暗い影を私は感ずるし、それが私の上にまで被さってくる。こんなことは、当の本人でなければ分るものではない。ね、そうでしょう。勿論私は、罪悪を感じたり、自責の念を覚えたりはしません。彼奴が悪いのだ。」
「そうだ、先方が悪い。」
「然し、なにか影がさしてくる……。」
「そんなもの、焼き捨てればいい。」
「焼き捨てる……。」
 彦一は夢からさめたかのように、ふと苦笑を浮べた。
「紙屑みたいにはいきませんよ。」
「いや、紙屑だって容易
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