です。」
 彦一も草の中にはいっていった。
「落し物ですか。」
 田中さんは棒で地面を突っついた。
「この辺にある筈だが……。」
 そしてなおあちこち突っついて、呟いた。
「分らん。」
 諦めたように、草の中にしゃがんで、尻を落ちつけてしまった。
 彦一もそこに屈みこんだ。雑草は丈高く、薄荷の匂いがして、世間から遮断された感じで、空が青く高い。
 田中さんは彦一の方へ眼を向けず、誰に言うのか分らない調子で言った。
「たいへん立派な、石の燈籠が、この辺にあって、地面に埋ってる筈です。その恰好といい、苔のつき工合といい、なかなか、ほかでは見られません。」
「地面に埋ってるんですか。」
「誰も盗んでいった者はない。私だけが知ってることです。」
「それじゃあ[#「それじゃあ」は底本では「それじやあ」]、空襲前には、あなたはここに住んでたんですか。」
「住んではいなかったが、私だけが知ってることで、誰にも分りゃしません。」
 それきり、話が途切れた。田中さんは煙草を取り出し、彦一にも一本すすめた。
 その煙草を、半分ばかり吸ってるうちに、彦一は突然、吐き出すように言い出した。
「あの一本松の、葦の茂みの中に、中華ソバ屋の小僧が、殺されていましたね。」
 草の中からは、松だけしか見えなかった。
「石で頭を打ち割られていましたね。」
 田中さんはただ頷いてみせた。
「誰があんなことをしたか、御存じですか。いや、あなたに分る筈はない。警察にも分ってはいない。だが、私は知ってるんですよ。私だけが知ってるんです。なぜなら、私がしたんですから。」
「ほう、あなたがね。」
 無関心らしい返事だった。
 彦一は腹が立った。田中さんの顔を、殴りつけるように見つめた。
「あすこに、あの小僧が立っていたんです。死神にとっ憑かれて、ぶら下ったみたいにふらりと立って、もう半分死んでいたんです。だから、私は、そいつを張り倒して、頭を石でぶち割ってやったんです。どう思いますか。」
「そりゃあ素敵だ。」
「え、素敵だというのは……。」
「とにかく、素敵だ。」
 言葉の調子には何の感動もなく、田中さんは淡々と独り頷いてるだけだった。
「ばかにしてはいけません。私がしたんですよ。」
「素敵だ。」
 彦一の方へは眼も向けず、一本松の方も振り向かず、草の茂みごしに遠くをぼんやり眺めている。事柄を理解していないのでは
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