いないのである。
某氏ある時、一冊の長篇小説を取上げ、作者が何を本当に云いたかったのか、手取り早く知るために、先ず最後の一章を読んだ。さっぱり分らない。次にその前の一章を読んだ。少し興味が持てる。次にその前の一章を読んだ。面白い。次にその前の一章を読んだ。つまらない。変だなと思って、更にその前の一章を読んだ。……かくして、某氏は遂にその小説を一章ずつ逆に読んでしまったのである。――読後の感想を聞いてみると、極めて正しいそして鋭い意見を述べた。筋の興味に甚だしく引きずられる小説や、筋の興味が殆んどない小説などは、こういう読み方をするのもよいかも知れない。
一読してすぐ理解されるようなものはつまらない、とは多くの読書家の持論である。順に読んでも逆に読んでも、それに堪え得るような書物は、感想集や日記の類ばかりでもなかろう。
然し、読書の真の楽しみは、書かれている文字だけを辿ることではないらしい。行と行との間をも味読するということは、そういうところから起ってくるのであろう。更に、如何なることが云われてるかが問題でなく、誰がそれを云ったかが問題だ、ということになると、つまり真意が問題にな
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