。――そういう書物の頁を、読むに随って切ってゆくことが、得も云えぬ楽しみだった時代がある。またそういう年齢もある。(雑誌については、読むところだけの頁を切ることが、いつも変らぬやり方らしい。)けれども、読むに随って頁を切ってゆくことは、よほど堅固な製本のものでなければそれに堪えない。また物によっては、それは興味を減損することもある。
更に、某氏の言がある。「僕は縁を裁たない書物なら、一度にすっかり頁を切ってしまう。それから、先ず扉を見、序文があればそれを読み、次に奥付を見、跋があればそれを読み、そして徐ろに、全体の頁をぱらぱらめくってみる。そういう風にして書物を眺めたり弄ったりしてるうちに、大体の内容は一通りのみこめる。それによって、精読すべきかどうかを決定するのだ。」
これは、少々ひどすぎる。書物をもてあそんでるうちに、その内容がいくらか分ってくるということのうちには、非常に危険な錯覚が交ってるのは、常識によっても明かである。一つの著述が種々の体裁の書物として出版されている場合には、どうなるであろうか。要するに、目にふれただけの文字とその可能な延長の範囲内に於てしか、理解されては
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