逢えないというわけがわかりませんでした。そして「千草姫は自分の亡くなったお母様ではないかしら」と、ふと思われました。それで、たずねてみようと思ってふり返られると、もう千草姫はそこにいませんでした。
 王子は御殿の庭に立ったまま、も一度千草姫に逢わなければならないと決心されました。

      三

 それから王子は、月のある晩はいつも庭に出て、森の精を待たれました。けれど森の精は一向《いっこう》迎えに来てくれませんでした。王子は悲しそうにお城の裏門の方を眺められました。その鉄の戸は厳しく閉め切ってありまして、いくら王子の身でも、それを夜分《やぶん》に開かせることは出来ませんでした。
 王子はいろいろ思い廻された上、遂にお守役《もりやく》の老女《ろうじょ》にわけを話して、白樫《しらがし》の森に行けるような手段《てだて》を相談されました。老女は大層《たいそう》王子に同情しまして、いいことを一つ考えてくれました。
 ある日王様が庭を散歩していられます所へ、王子と老女とが出て参《まい》りました。老女はこう王様に申し上げました。
「このお庭は、月夜の晩はそれはきれいでございますけれど、あまり淋しすぎます。お月見の時に一晩だけお城の門をすっかり開いて、城下の人達を自由にはいらせて、皆で踊らせたらどんなにかおもしろいことでございましょう」
 王子も傍《そば》から申されました。
「それはおもしろい。お父様、そういたそうではございませんか」
 二人がしきりにすすめますものですから、王様も承知なさいました。そしてすぐに、その用意を家来《けらい》に言い付けられました。
 その晩は大変な騒ぎでありました。王様は櫓《やぐら》に上がって、大勢《おおぜい》の家来達と酒宴《しゅえん》をなされました。お城の門は表も裏もすっかり開け放されて、城下の人達が大勢はいって来ました。皆美しく着飾《きかざ》って、お城の庭で踊りを致しました。方々でいろいろな音楽も奏《そう》されました。晴れた空には月が澄みきっていました。燈火《あかり》は一切ともすことが許されませんでした。お城全体が、月の光りと音楽と踊りといい香《にお》いとで湧《わ》き返るようでした。
 王子はお守役の老女と二人で、そっと裏門から忍び出られました。そして老女を白樫《しろかし》の森の入口に待たせて、自分一人森の中にはいってゆかれました。
 ところが例の空地《あきち》の所まで行かれましても、誰も出て来ませんでした。
 あたりはしいんとして、高い木の梢《こずえ》から月の光りが滴《したた》り落ちているきりでした。お城の中の賑《にぎ》やかな騒ぎが、遠くかすかにどよめいていました。
 王子は長い間待っていられました。眼に涙をためて、「千草姫《ちぐさひめ》、私です!」とも叫ばれました。けれども姫も森の精も姿さえ見せませんでした。
 とうとう王子は涙を拭《ふ》きながら、思い諦めて戻ってゆかれました。森の入口で待っていた老女が何かたずねても、王子はただ悲しそうに頭を振られるのみでした。
 王子は考えられました。なぜ千草姫は出て来てくれないのであろう。悲しいことが起こると言われたがそれはどんなことだろう。姫は亡くなられたお母様のような気がするが、ほんとにそうだろうか。なぜ私に何にも教えてはくれないのかしら。
 そのうちに、悲しいことというのが実際に起こって来ました。城下のある金持が、白樫《しらがし》の森の木をすっかり切り倒して材木にし、その跡を畑にしてしまうというのです。城下にはだんだん人がふえてきまして、新たに家を建てる材木がたくさんいりますし、五穀《ごこく》を作る田畑もたくさんいるようになったのです。誰も反対する者がなかったので、王様も金持の願いを許されました。
 王子はそれを聞かれて非常にびっくりされ、いろいろ王様に願われましたが、もう許してしまったことだからといって、王様は聞き入れられませんでした。
 王子は悲しくて悲しくて、毎日ふさいでばかりいられました。けれどもそんなことには頓着《とんちゃく》なく、白樫の森は一日一日と無くなってゆきました。
 ただ不思議なことには、森の大きな木が切り倒される度《たび》に、いろんな声がどこからともなく響きました。――鳥、鳥、赤い色――鳥、鳥、青い色――鳥、鳥、紫――鳥、鳥、緑色――鳥、鳥、白い色……そしてその度ごとに、赤や青や紫や白や黒や黄やその他いろんな色の鳥が、森から飛んで逃げました。王子は森の側に立って、鳥の飛んでゆく方を悲しそうに眺められました。
 けれども、きこり共にはそれらの声が少しも聞こえませんでしたし、また彼等は、いろんな色の鳥を見ても別に怪しみもしませんでした。森の木はずんずんなくなってゆきました。
 いよいよ、森の奥の空地《あきち》の近くまで木がなくなった時、王子
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