はもうじっとしていることが出来なくなられました。その日の晩は、ちょうど満月で、いつもより月の光りが美しく輝いていました。
 王子は一人で、お城の裏門の所まで忍び寄られましたが、門は堅く閉め切ってありました。王子は、口惜《くや》し涙にくれて、誰か門を開いてくれるまでは、夜通しでもそこを動くまいと、強い決心をなされました。
 その時、不思議にも、門の戸がすうっと独《ひと》りでに開きました。王子は夢のような心地《ここち》で、そこから飛び出してゆかれました。

      四

 木が無くなった森の跡は、ちょうど墓場《はかば》のようでした。大きな木の切株《きりかぶ》は、石塔《せきとう》のように見えました。王子はその中を飛んでゆかれました。まだ木立《こだち》が残ってる奥の方の空地の所まで来て、王子はほっと立ち止まられました。見るとそこには誰もいませんでした。「千草姫《ちぐさひめ》!」と王子は叫ばれました。何の答えもありませんでした。
 しばらくすると、王子のすぐ側でやさしい声が響きました。
「王子様!」
 王子はびっくりされて、今まで垂れていた頭を上げて見られると、そこに千草姫《ちぐさひめ》が立っていました。王子はいきなり姫にすがりつかれました。
「よく来て下さいました。とうとうお別れの時が参《まい》りました」と姫は言いました。
 王子は嬉しいやら悲しいやらで、口も利《き》けないほどでありましたが、しばらくすると、いろいろなことを一緒に言ってしまわれました。
「なぜお別れしなければならないのですか。なぜ私をちっとも迎えに来て下さらなかったのですか。お月見の晩にここに来ましたのに、なぜ逢って下さらなかったのですか。あなたは亡くなられたお母様ではありませんか。言って下さい。私に聞かして下さい。私はもう側を離れません。お城の中にも帰りません」
 千草姫は何とも答えませんでした。そして王子の手を取ったまま、芝生《しばふ》の上に坐りました。
「私はあなたのお母様ではありません。けれど私を母のように思われるのは、悪いことではありません。私達は、あらゆるものを生み出す大地の精なのですから。ただ悲しいことには、いつかは私達の住む場所がなくなってしまうような時が参《まい》るでしょう。私達は別にそれを怨《うら》めしくは思いませんが、このままで行きますと、かわいそうに、あなた方人間は一人ぽっちになってしまいますでしょう」
 王子はその言葉を聞かれると、何故《なぜ》ともなく非常に淋しく悲しくなられました。そして二人は長い間黙ったまま、悲しい思いに沈んでいました。月がだんだん昇ってきて、ちょうど真上になりました。
 その時、千草姫《ちぐさひめ》はふと頭を上げて月を見ました。「もうお別れする時が参《まい》りました。これを記念にさし上げますから、私と思って下さいまし」
 そう言って、千草姫は片方の腕輪《うでわ》を外《はず》して王子に与えました。
 その時、どこからともなくいろんな色の小鳥が出て来て、千草姫のまわりを飛び廻りました。王子はびっくりしてその小鳥を眺められました。
「これでお別れいたします」
 そういう声がしましたので、王子はふり返って見られると、もう千草姫の姿は見えないで、そこにまっ黒な大きい鳥がいました。くちばしに千草姫の片方の腕輪をくわえて、羽は皆|百合《ゆり》の花びらの形をしていました。
 その鳥は王子の方へ一つ頭を下げたかと思うと、もう翼を広げて飛び上がりました。王子は一生懸命にその尾《お》にすがりつかれますと、尾だけがぬけ落ちて王子の手に残りました。あたりの小鳥は悲しい声で鳴き立てましたが、もう森の精ではなくて鳥になっていますので、その意味は王子にわかりませんでした。
 王子はぼんやり立っていられますと、どこからか矢車草《やぐるまそう》の花をつけた森の精が出て来まして、腕輪と黒い鳥の尾とを手にしていられる王子を、お城の中へ送り返してくれました。
 その後、白樫《しらがし》の森はすっかり切り倒されて畑になり、城下には立派な町が出来ました。けれどもどうしたことか、月が毎晩|曇《くも》って少しも晴れませんでした。そして次のような唄が、城下の子供達の間にはやり出しました。
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お月様の中で、
尾《お》のない鳥が、
金の輪をくうわえて、
お、お、落ちますよ、
お、お、あぶないよ。
[#ここで字下げ終わり]
 月の光りが少しもさしませんので、国中の田畑の物はよく成長しませんでした。草木が大きくなるには露と月の光りとが大切なのです。国中は貧乏になり、人々は陰気《いんき》になりました。それで王様も非常に困られて、位《くらい》を王子に譲《ゆず》られました。
 王子は、白樫《しらがし》の森の跡に、木を植えさして小さな森を作られ、その中に宮を建て
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