して魚醤油の発明に身心をなげうち、学閥の圧迫や其他の社会的不正と戦い、遂に打勝って特許権を得ても、それをすぐ民間に開放してしまって、また次の発明に飛びついていく、そうした雁金八郎のことを書くのが主題だったろう。然るに、作者により近い人物として対蹠的に山下久内がいる。そして茲では、貧窮と迫害のうちにも戦い続けていく雁金の生活相や、徒食している微温的な久内の生活相や、敦子や初子の生活意識など、そんなものよりもむしろ、単に二人の性格の対比が重視されている。そして終りに、前に挙げたあの場面で、久内はこんなことを云う。
「自由というのは自分の感情と思想とを独立させて冷然と眺めることの出来る濶達自在な精神なんだ。雁金君なんか、僕にとっちゃたしかに敵だが、敵なればこそあの人の行動は、僕に誰よりも自由という精神を能く教えてくれたのだ。僕は雁金君に負かされづめだけれど、結果としてはとうとう僕の方が勝ったのだ。」
 果して久内の方が勝ったのであろうか。それはともかくとして、作者の創作態度としての「私」が破綻したあの場面で――破綻しなかったのならば、右のような心理は、地の文か或は地の文の中にとけこんだ言葉で
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