。而も、余りに頭脳がよくて密集してくる映像や内部に閃めく抽象物の氾濫に、適度の処理を失いがちであって、その内面の複雑さに圧倒されつづけている。自意識過剰の実行力ない男である。之に対照させられてる雁金八郎は恐らく、作者には心理的に縁遠い人物であろう。彼は実際的発明のために悪戦苦闘しながら邁進する。醤油の醸造にかけて特殊の才能をもち、隠元豆から、次には鰹節の煮出殼から、次には魚類から、醤油醸造法を発明し、なお種々の魚の干物をも拵えるが、次から次へと社会的事情による不運に見舞われて、その非凡な発明も報いられない。而も彼は常に敢然として不運と戦っていく。そしてこの二人が、久内の妻の敦子と久内の父の山下博士の学閥とのことで、のっぴきならぬ交渉関係に立たされる。
 対蹠的な性格にある二人の人物を作品の中で対立させることは、屡々見られることである。そうした場合、作者はそのどちらかに、同情とか反感とかいった種類の心の動き方ではなく、ただ漠然と心を惹かれることがあるだろう。
「紋章」はその題名によっても知られる通り、代々勤王をもって鳴る名門から出て、貧苦のうちにも国利民福のために、豊富な海産物の利用法として魚醤油の発明に身心をなげうち、学閥の圧迫や其他の社会的不正と戦い、遂に打勝って特許権を得ても、それをすぐ民間に開放してしまって、また次の発明に飛びついていく、そうした雁金八郎のことを書くのが主題だったろう。然るに、作者により近い人物として対蹠的に山下久内がいる。そして茲では、貧窮と迫害のうちにも戦い続けていく雁金の生活相や、徒食している微温的な久内の生活相や、敦子や初子の生活意識など、そんなものよりもむしろ、単に二人の性格の対比が重視されている。そして終りに、前に挙げたあの場面で、久内はこんなことを云う。
「自由というのは自分の感情と思想とを独立させて冷然と眺めることの出来る濶達自在な精神なんだ。雁金君なんか、僕にとっちゃたしかに敵だが、敵なればこそあの人の行動は、僕に誰よりも自由という精神を能く教えてくれたのだ。僕は雁金君に負かされづめだけれど、結果としてはとうとう僕の方が勝ったのだ。」
 果して久内の方が勝ったのであろうか。それはともかくとして、作者の創作態度としての「私」が破綻したあの場面で――破綻しなかったのならば、右のような心理は、地の文か或は地の文の中にとけこんだ言葉で
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