、老僧はその処女を見た。爾来、煩悩の迷い逐えども去らず、老僧の魂は禽獣となって、遂にその娘を誘拐し、二人して洞窟内に蟄居した。
 昼となく夜となく、老僧は娘をかき口説いた。娘は頑として応じない。然しさすがは、カーマ・スートラを所有する印度のことだ。手荒な蛮行や、猥らな仕業は、微塵もない。その代りに、不可思議の情熱の生活が初った。
 二人は洞窟から一歩も外に出ない。勿論飲食さえもしない。娘は岩壁を背にして、身動きもせずに端坐している。老僧はその前に、足を組み腕を組んで、不動の祈願のうちに、じっと娘の姿を凝視している。煩悩即菩提の所業である。
 昼間は薄明、夜間は暗黒、月の夜は蒼白い微光がさす。そして巨巖に圧せられた静寂が、洞窟内に常住淀んでいる。娘は一言も口を利かない。既に抵抗力を失ったのか、或は一身をあげて承諾したのか。老僧の視線の前に一切を曝している。老僧ももはや、言語を絶した沈黙のうちにはいっている。娘を凝視するその眼から、一種の怪光が発散する。その怪光が、彼と彼女との肉体を繋ぎ、彼の魂から彼女の魂へと、じかに霊気が流れる。彼女の魂はそれを受け容れる。有を無に還元した怪しい時間が、純粋持続を以て経過する。
 かくて、幾日幾夜かを経た。老僧の両眼は次第に力を失って、その代りに、額の皺が次第に深まり、それが一の眼となって、他物は一切見ず、ひたすら女の方を見つめている。女はその眼に見入られながら、次第に生気を失い、蝋のような蒼白な不動に陥っている。そして見つめ見入られながら、二人は呼吸も次第に細ってゆく……。
 程へて、その洞窟内に、二つの死体が発見された。一つは、痩せ細った老僧の死体で、額に大きな眼のある三つ目の、骨と皮ばかりのものだった。も一つは、美しい娘の死体で、豊かな肉体がそのまま蝋化した、みごとなミイラだった。
 洞窟内のこの秘密は、二人以外の誰によって知られたのか、或は想像されたのか、そこのところは不明であるが、とにかく、二つの死体が発見されたのは事実で、それが鄭重に黒檀の箱に納められ、洞窟の中に安置され、更に鉄柵を以て俗縁を断たれて、秘仏として礼拝されているのである。
 この秘仏は、永劫不可見のものとなっている。それを、ヒマラヤから西蔵へかけて或る秘密探査に行った某君が、旅のつれづれのまま、ひそかに鉄柵を開き、黒檀の箱まで開いて、中を覗いてしまったのであ
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