も同じことなのだ。そういうところから独特な「蛙」の詩が生れた。
「蛙」の詩が独特であるように、心平さん自身、特異な詩人である。今では、詩雑誌「歴程」の総帥として、詩業も貫禄も充分に備わっているが、なんとなく孤峯の感じである。敬愛する先輩として高村光太郎あり、また宮沢賢治あり、彼に兄事する後輩も多く、彼に心酔するファンも多数であるが、然し、日本の詩の系譜から見て、孤立孤高の感を免れない。そしてこれは寧ろ、心平さんにとって名誉なことだ。
 知性と感性との渾然たる融合、鮮明なるイメージ、豊潤奔放なる韻律など、心平さんの詩の特長は、そうやたらに存在し得るものではない。
 それからまた、心平さんのこれまでの詩業を通覧しても、特殊なものがある。たいていの詩人には、その詩集を以て名づけられる何時代というのがあるものだが、心平さんにはそのようなものは一向ない。例えば、その詩集を取ってきて、「母岩」時代とか、「大白道」時代とか、「日本沙漠」時代とか、そういうことを言ったならば、おかしいだろう。ばかりでなく、「蛙」の詩や「富士山」の詩は、十数年に亘って幾つとなく書き続けられたものである。恐らく今後もまだ続
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