やいば》でつらぬくような鋭い叫び声をあげて駈け寄って来た。彼女は男の手をつかんで、かよわいからだに全力をこめて引き戻したのである。ジョヴァンニは彼女にさわられると、全身の繊維が突き刺されるように感じた。
「それにふれてはいけません。あなたの命がありません。それは恐ろしいものです」と、彼女は苦悩の声を張りあげて叫んだ。
 そう言ったかと思うと、彼女は顔をおおいながら男のそばを離れて、彫刻のある入り口の下に逃げ込んでしまった。ジョヴァンニはそのうしろ姿を見送ると、そこには、ラッパチーニ博士の痩せ衰えた姿と蒼《あお》ざめた魂とがあった。どのくらいの時間かはわからないが、彼は入り口の蔭にあってこの光景を眺めていたのであった。

 ジョヴァンニは自分の部屋にただひとりとなるやいなや、初めて彼女を見たとき以来、ついに消え失せないありたけの魅力と、それに今ではまた、女性らしい優しい温情に包まれたベアトリーチェの姿が、彼の情熱的な瞑想のうちによみがえってきた。彼女は人間的であった。彼女はすべての優しさと、女らしい性質とを賦与《ふよ》されていた。彼女は最も崇拝にあたいする女性であった。彼女は確かに高尚な勇壮な愛を持つことができた。彼がこれまで彼女の身体および人格のいちじるしい特徴と考えていたいろいろの特性は、今や忘れられてしまったのか。あるいは巧妙なる情熱的詭弁によって魔術の金冠のうちに移されてしまったのか。彼はベアトリーチェをますます賞讃すべきものとし、ますます比類なきものとした。これまで醜《みにく》く見えていたすべてのものが、今はことごとく美しく見えた。もしまた、かかる変化があり得ないとしても、醜いものはひそかに忍び出て、昼間は完全に意識することの出来ないような薄暗い場所にむらがる漠然とした考えのうちに影をひそめてしまった。
 こうして、ジョヴァンニはその一夜を過ごしたのである。彼はラッパチーニの庭を夢みて、あかつきがその庭に眠っている花をよび醒ますまでは、安らかに眠ることができなかった。
 時が来ると日は昇って、青年のまぶたにその光りを投げた。彼は苦しそうに眼をさました。まったく醒めたとき、彼は右の手に火傷《やけど》をしたような、ちくちくした痛みを感じた。それは彼が宝石のような花を一つ取ろうとした刹那に、ベアトリーチェに握られたその手であった。手の裏には、四本の指の痕《あと》の
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