かの子供達はまだ小さいので分らないような、この話の中の或る物に、彼女は感動したからだった。子供相手の話ながら、ユースタス・ブライトは、それによって、青年の熱情と、高邁な希望と、空想的な冒険とを、うまく子供達に吹き込もうとしたのであった。
『プリムロウズ、君は僕や僕の話を随分ひやかしたけれど、もうかんべんしてあげるよ、』彼は言った。『沢山笑ったことも、一滴の涙でつぐなわれるからね。』
『それはそうと、ブライトさん、』と、プリムロウズは目を拭いて、またいたずららしい笑い方をして彼を見ながら答えた、『たしかにあなたの頭は、雲の上へ来ると、考えが高尚になるわ。だからあたし、あなたに、ちょうど今みたいに山の頂上にいる時じゃないと、これから話をしないようにすすめるわ。』
『それとも、ペガッサスの背中に跨がってやるかだね、』とユースタスは笑いながら答えた。『僕があの驚くべき小馬をつかまえて来た手際は、なかなかの成功だったと君は思わない?』
『それはあなたが時々やる、突飛《とっぴ》なふざけ方とよく似てるわ!』とプリムロウズは手をたたいて言った。『あたしはあなたが二マイルも高いところで、ペガッサスに乗って、真逆様になってるところが、今も目に見えるような気がするわ! でもあなたは、われわれのおとなしいデイヴィ、或はワン・ハンドレッドより荒い馬に乗って、馬術の腕をためして見る機会がなかったからいいのよ。』
『僕としちゃ、今ここに、ペガッサスがいればいいと思うなあ、』とその学生は言った。『そうすれば、僕はすぐにそれに跨がって、仲間の作家達の間を文学巡礼しながら、ぐるっと幾マイルか廻って来るんだけれど。タコウニック山の麓にいるデューイ博士のところへも行けるだろう。向うのストックブリッヂには、歴史や小説を山ほど書いて、世に名高いヂェイムズさんもいる。ロングフェロウは、たしか、まだオックスボウへ来ていない筈だが、もし彼の姿が見えたら、ペガッサスがいななくだろう。しかし、こっちのレノックスでは、バークシアの風景と生活とをすっかり自分のものにしてしまった、われわれの最も真実な作家に会えるだろう。ピッツフィールドのこっち側では、ハーマン・メルヴィルが、大きなグレイロックの姿が窓をふさがんばかりにそびえている書斎で、彼の長編「白鯨」の雄大な構想を練っていることだろう。それからペガッサスがもう一飛びすれば、僕はホウムズの家の戸口に着くだろう。僕がこの人のことを最後に廻したわけは、ペガッサスがもし彼を見たら、すぐに僕をおろして、この詩人に乗ってほしいと言い出すにきまっているからなんだ。』
『あたし達のすぐ隣りにも作家がいるんじゃないの?』とプリムロウズは尋ねた。『タングルウッドの並木道の傍の古い赤い家に住んでいる、あの黙った人、時々森の中や湖の傍で、二人の子供をつれて歩いているのに出遇う、あの人よ。あたし、あの人が詩か、小説か、算術の本か、歴史の教科書か、それとも何かほかの本かを書いたことがあると聞いたように思うんだけど。』
『しっしっ、プリムロウズ!』とユースタスは、唇に指を当てながら、鋭い囁き声で叫んだ。『こんな山の上ででも、あの人のことは一言《ひとこと》もいっちゃいけない! もしもわれわれのおしゃべりが彼の耳にとどきでもして、それが気に入らなかった時には、彼が紙を一二帖ストウヴに投げ込むだけで、プリムロウズ、君も僕も、ペリウィンクルも、スウィート・ファーンも、スクォッシュ・ブロッサムも、ブルー・アイも、ハックルベリも、クロウヴァも、カウスリップも、プランティンも、ミルク・[#「・」は底本では欠落]ウィードも、ダンデライアンも、そしてバタカップも――そう、それから僕の話をけなした、博識のプリングルさんも、それからまた気の毒なプリングルおばさんまで――みんな煙にされてしまって、煙突をかけ上るようなことになりそうなんだ! 赤いお家の人は、おそらく、われわれを除《の》けた世間一般の人達にとっては、一向こわくもなんともない人らしい。しかし、僕には、あの人がわれわれに対しておそろしい力を持っているということが分るんだ。まったくわれわれを破滅させてしまう力があるということがね。』
『そして、タングルウッドもあたし達と同じように煙になってしまうんでしょうか?』ペリウィンクルは、破滅させられるとおどかされて、すっかりこわくなって尋ねた。『そしてベンや熊公《ブルイン》など、犬はどうなるんでしょう?』
『タングルウッドはそっくり今のままだけど、まるで違った家族がはいるだろう、』と学生は答えた。『そしてベンと熊公《ブルイン》とは、そうなってもまだ生きていて、われわれと一しょに暮らした楽しい時のことなどはまるで考えもしないで、食卓から下げた骨を貰って喜んでいるだろう。』
『なんて馬鹿々々しいことをあなたは言ってるんでしょう!』とプリムロウズは叫んだ。
そんな無駄口をききながら、みんなはさっきから山を下りはじめていたが、もう森の蔭へ来た。プリムロウズは山月桂樹の枝を少し取ったが、その葉は去年の葉だのに、霜や雪解《ゆきどけ》が交代でその葉の組織で力試しをしたことなどはまるでなかったかのように、青々として弾力があった。これらの月桂樹の枝で、彼女は冠を編んで、それを学生の額にかぶらせようと、彼の帽子を取った。
『あなたの話に感心して、あなたに月桂冠を捧げるような人は、ほかには無さそうだわ、』と生意気なプリムロウズは言った、『だから、あたしからこれをお受けなさい。』
『これらの不思議な、面白い話によって、僕がほかからも月桂冠を受けないとは限らないよ、』と答えたユースタスは、つやつやした巻毛に月桂冠をつけて、本当に青年詩人のようだった。『僕はこれから休みの間、暇を見て、それから大学に帰ってからも、夏の学期中、今までの話を原稿に書いて、出版するつもりだ。去年の夏、バークシアで知合いになった人だが、出版もやれば、詩も書くというヂェイ・ティー・フィールヅ氏は、一目《ひとめ》で僕の話のすぐれた価値が分るだろう。彼はビリングズにでも挿画を描かして、ティックナ社といったような有名な出版|書肆《しょし》から、それを立派に世に出してくれると思うんだ。今から五箇月もしたら、僕はきっと、現代の大家の中に数えられてるね!』
『かわいそうに!』とプリムロウズは半分ひとりごとのように言った。『彼は当てがはずれて、どんなにがっかりするでしょう!』
も少し下へおりて行くうちに、熊公《ブルイン》が吠えはじめた。すると先輩のベンがもっと重みのある声でそれに応《こた》えた。彼等はまもなく、その感心な老犬が、ダンデライアンとスウィート・ファーンとカウスリップとスクォッシュ・ブロッサムとを、油断なく見張っているのを見た。それらの小さな子供達は、すっかり疲れもなおって、チェッカベリ摘みをはじめていたのだが、みんながおりて来たので、迎いに登って来た。こうしてまた一しょになると、みんなそろって、ルーサ・バトラさんとこの果樹園を抜けて丘をおりて、大急ぎでタングルウッドへ帰って行った。
底本:「ワンダ・ブック 少年少女のために」岩波文庫、岩波書店
1937年(昭和12)年9月1日第1刷発行
1950年(昭和25)年7月10日第6刷発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
底本中でばらばらに用いられている、「匹」と「疋」、「見事」と「美事」などは、そのまま残しました。
ただし、「ちょうど」と「丁度」は「ちょうど」に、「ちょっと」と「一寸」は「ちょっと」に、「ヴァ」と「※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]」は「ヴァ」に、それぞれ統一しました。
「哩」は「マイル」に、「呎」は「フィート」に、「米」は「メートル」に、「其」は「その」に、「其処」は「そこ」に、「此処」は「ここ」に、「這入る」は「はいる」に、「可なり」は「かなり」に、置き換えました。
読みにくい言葉、読み誤りやすい言葉には、適宜振り仮名を付しました。
入力:山本洋一
校正:大久保ゆう
2004年1月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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