。また彼は、からだをふるわせていましたが、決してこわかったからではなく、三つの頭をした、その毒を持った怪物の憎らしさに、心からむかむかとしたからでした。
 一方、カイミアラの方は、全く尻尾の尖《さき》で立っているような恰好で立上って、爪ではげしく空《くう》を掻《か》き、その三つの口から、ペガッサスとその乗り手とにむかって火を噴きかけました。いやはや、それが唸ったり、しゅっしゅっというような声を出したり、吼えたりすることと言ったら! ビレラフォンは、その間に盾を腕につけ、剣を抜きにかかっていました。
『さあ、僕の愛するペガッサスよ、』と彼は翼のある馬の耳に囁きました、『お前は僕がこの小癪《こしゃく》な怪物を退治るのを加勢しなければならない。それがいやなら、お前の友ビレラフォンを捨てて、お前の淋しい山の峯に飛んで帰れ。カイミアラが死ぬか、お前の頸にもたれて眠った僕のこの頭を、あの三つの口に食われてしまうか、なんだから!』
 ペガッサスはいなないて、それから首をうしろに向けて、その鼻をやさしく乗り手の頬にすりつけました。こうしてペガッサスは、翼のある不死の馬ながら、もしも不死の命も死ぬことが出来るものなら、ビレラフォンを捨てて帰るよりも死んだ方がいいという意味を伝えたのでした。
『ありがとう、ペガッサス、』とビレラフォンは答えました。『さあ、それではあの怪物めがけて突撃しよう!』
 そう言いながら、彼は手綱を振りました。そこでペガッサスは、その間もずっと、出来るだけ高くつき出していたカイミアラの三つになった頭をめがけて、矢のような速さで、斜《ななめ》下に飛びかかって行きました。手のとどくところまで来た時、ビレラフォンは怪物に斬りつけましたが、その一太刀に手ごたえがあったかどうか見とどける暇もなく、ペガッサスは先へ行き過ぎてしまいました。ペガッサスはそのまま進んでいましたが、前と同じくらいカイミアラからはなれたところまで来ると、すぐまた、くるりと向きを変えました。その時ビレラフォンは、自分が怪物の山羊首をほとんど切り落して、それが皮だけでだらりとぶら下がって、全く死んでいるらしいのを見ました。
 しかし、その埋合せに、蛇首と獅子首とは、死んだ山羊首のはげしさを全部彼等で引受けて、前よりもはるかにものすごく、火を噴き、しゅっしゅっと鳴き、そして吼え立てました。
『大丈夫だ、勇敢なペガッサス!』とビレラフォンは叫びました。『いま一太刀あんなのをあびせて、しゅっしゅっと鳴いている方か、吼え立てている方かを、やめさせて見せるから。』
 そしてまた彼は手綱を振りました。前と同様、斜《ななめ》に突進して、ペガッサスはまたカイミアラにむかって矢のように飛んで行きました。そしてビレラフォンは、カイミアラを掠《かす》めて行く時、二つの残った首の一つをめがけて、またさっと一太刀斬りつけました。しかし、今度は、彼もペガッサスも、最初のようにうまく逃げられませんでした。その爪の一つで、カイミアラはビレラフォンの肩先に深い掻傷《かききず》を負わせ、ほかの爪で、ペガッサスの左の翼を少し傷つけました。ビレラフォンの方では、その代りに、怪物の獅子首に致命傷を与えて、それがもうぶらりと垂れてしまって、口の中の火もほとんど消えて、ぱくぱくと濃い黒煙を吐くくらいにしてしまいました。しかし、今ではただ一つだけ残った蛇頭は、そのはげしさも、その毒も、いままでに倍して来ました。それは火を五百ヤードもある噴水のようにふき出して、しゅっしゅっと鳴く声の大きさ、はげしさ、やかましさといったら、五十マイルもはなれたアイオバティーズ王のところまで聞えて来て、王様は玉座ががたがたと動き出すほど震えたくらいでした。
『ああ、ああ! カイミアラが、きっとわしを呑みに来るのだ!』と、可哀そうな王様は思いました。
 その間に、ペガッサスはまた空中に止まって、憤然としていななきましたが、その眼からは、すきとおった水晶のような火花が、ぴかぴかと飛び出しました。カイミアラの気味の悪い赤いような火とは、なんという違いでしょう! 天馬の勇気は、全身に湧き立ちました。ビレラフォンもまた同様でした。
『お前ひどく血が出るか、不死の馬よ!』若者は自分の痛手《いたで》よりも、今まで痛さというものは味わったことのない筈の、この栄光ある動物の苦痛の方を心配して、叫びました。『この傷の仕返しとして、憎むべきカイミアラの最後に残った首を討取ってくれん!』
 そこで彼は手綱を振って、大音声《だいおんじょう》をあげて、今度は斜《ななめ》に向わずに、怪物のおそろしい真正面めがけて、天馬を進めました。その進撃はあまりにも速く、はっと思う間に、もうビレラフォンは彼の敵とがっぷりと組んでいました。
 二番目の首を落されたカイミアラは、この時までに、あまりの痛さに火がついたように苦しんで、たけり狂っていました。そして、あまり激しくころげ廻ったり、飛び上ったりするので、一体地上にいるのか、空中にいるのか分らないくらいでした。それは蛇の口をおそろしく大きくあけたので、ペガッサスは翼をひろげたまま、乗り手も何も一しょに、その喉の中へ飛び込んでしまいそうだったと言いたいくらいです。彼等が近づいて行くと、それは火の息をものすごい勢で噴き出して、ビレラフォンと馬とをすっかり火の中に包んでしまって、じりじりとペガッサスの翼を焦がし、青年の金色の巻毛の片側を焼いてしまいました。彼等は二人とも、頭から足の先まで、熱《あつ》くって閉口しました。
 しかし、そのあとで起ったことから見ると、これくらいなことは何でもなかったのです。
 ペガッサスが空中を突進して行って、百ヤード以内に近づいた時、カイミアラはぱっと跳び上って、その大きな、不格好な、毒のある、とてもいやな胴体を、可哀そうに、まともにペガッサスにぶっつけて、力一杯に彼をかかえ込んで、その蛇のような尻尾を結んだように巻いてしまいました。天馬は、山の峯よりも、雲よりも、高く、ほとんど地上が見えなくなるまで、ぐんぐん舞上りました。しかしそれでも、土に生れたその怪物は、ぐっとつかまえて放さず、光と空に生きるペガッサスにくっついて、一しょに上って行きました。その間に、ビレラフォンが振向いて見ると、カイミアラのおそろしい、すごいような顔と、鼻をつき合わさんばかりになっていたので、盾をさし上げて、やっとのことで焦げ死んだり、真二つに喰切られたりすることを免《まぬが》れることが出来ました。彼は盾の縁起《ふちご》しに、怪物のものすごい眼を、きっとにらみつけました。
 しかしカイミアラは、痛さのために気違いのようになってあばれていたので、ほかの時のように、よく身をまもっていませんでした。おそらく、結局のところ、カイミアラと闘うには、出来るだけぴったりとそれにくっついているのが一番いいようでした。一生けんめい敵にそのおそろしい鉄の爪を立てようとして、カイミアラは自分の胸をすっかり敵にさらしていました。これを見て取ったビレラフォンは、彼の剣を、そいつの残忍な心臓に、柄《つか》も通れと突き立てました。結んだようになっていた蛇のような尻尾は、すぐにほどけました。怪物はペガッサスをつかまえていた手を放して、その大変な高さから、地上に向って落ちて行きました。そして、そいつの胸の中の火は、消えるどころか、前よりも一層はげしく燃立って、たちまちその死骸を焦がしはじめました。そんなわけで、怪物はすっかり火になって空から落ちましたが、それが地にとどくまでに、夕方になったので、流れ星や箒星《ほうきぼし》と間違えられました。しかし、あくる朝、その辺に住む人達が働きに出ようとして、何|町歩《ちょうぶ》かの土地に黒い灰がちらばっているのを見てびっくりしました。或る畠のまん中には、白い骨が乾草堆よりもずっと高く、山のようになっていました。あのおそろしいカイミアラの名残《なごり》は、そのほかにはなんにもありませんでした!
 そして、ビレラフォンは、こうして勝利を得た時、前かがみになって、ペガッサスに接吻しました。その時、彼の眼には涙がうかんでいました。
『さあ帰ろう、わが愛馬よ!』彼は叫びました。『ピリーニの泉をさして帰ろう!』
 ペガッサスはこれまでよりも更に速く、滑るように空中を飛んで、いくらもかからないで、その泉へ着きました。そこにはあの老人が杖にもたれ、百姓男は牛に水を飲ませ、きれいな娘は瓶に水を汲んでいました。
『今になって思い出したが、』と老人は言いました、『わしはまだ全くの若者だった頃、一度この翼のある馬を見たことがあるよ。しかし、その時分には、この馬も今の十倍も立派だったがなあ。』
『わしはこの馬の三倍の値打のある荷馬車馬を持っているよ!』と百姓男は言いました。『もしもこの小馬がわしのものだったら、第一にわしはその翼を剪《はさ》んでしまうね!』
 しかしあの気の弱い娘は何も言いませんでした。というのは、彼女はいつも、こわがらなくてもいい時にこわがるようなことになってしまうのでしたから。そんなわけで、彼女は逃げ出して、水瓶をひっくりかえして、それをこわしてしまいました。
『あのおとなしい子供はどこにいます?』とビレラフォンは尋ねました、『いつも僕の傍にいて、決して信念を失わず、飽《あ》きもしないで泉の中を見つめていたあの子は?』
『僕ここです、ビレラフォンさん!』とその子供は、やさしく言いました。
 その小さな子は、実は、毎日々々ピリーニの泉の傍で、彼の友達が帰って来るのを待っていたのですが、ビレラフォンがペガッサスに跨がって、雲の中からおりて来るのを見ると、灌木の中へ逃げ込んでしまったのでした。彼は気の弱い、やさしい子だったので、彼の目から涙がぽろぽろとこぼれて来るところを、老人と百姓男とに見られるのがいやだったのです。
『あなたは勝ちましたね、』と彼は言って、まだペガッサスに跨がっているビレラフォンの膝の方へ、嬉しそうに駆け寄りました。『僕、あなたが勝つだろうと思っていた。』
『勝ったよ、君!』と答えて、ビレラフォンは馬からおりました。『しかし、もしも君の信念の助けがなかったら、僕は決してペガッサスを待たなかっただろうし、雲の上へも上れなかっただろうし、またおそるべきカイミアラを退治ることも出来なかっただろう。僕の大好きな小さな友達の君が、みんなやったようなものだ。さていよいよ、ペガッサスを自由にしてやろうじゃないか。』
 そこで彼は、その非凡の馬の頭から、魔法の馬勒をはずしてやりました。
『我がペガッサスよ、永久に、自由になれ!』と彼は叫びましたが、その調子はどことなく悲しそうでした。『お前の速さに負けないくらい自由になれ!』
 しかし、ペガッサスはその頭をビレラフォンの肩に乗せて、何と言って聞かせても、飛んで行こうとはしませんでした。
『それじゃ、まあ、』ビレラフォンは天馬を撫でてやりながら言いました、『お前の好きなだけ僕の傍にいるがいい。これからすぐに、われわれは一しょに行って、アイオバティーズ王に、カイミアラを退治たことを知らせよう。』
 それからビレラフォンは、そのおとなしい子供を抱きしめて、また来るからと約束して、出かけて行きました。しかし、後年に至って、その子供は天馬に乗って、ビレラフォンよりも一層高く大空を駆けって、カイミアラ退治よりも更に名誉ある仕事をなし遂げました。というのは、彼はおとなしい、やさしい子供でしたが、大きくなって、とてもえらい詩人になったからです!
[#改ページ]

     禿げた頂上
       ――話のあとで――

 ユースタス・ブライトはビレラフォンの伝説を、まるで本当に彼が翼のある馬に乗って飛ばしているかのような熱意と元気とで話した。話し終った時、聞いていた子供達の顔が真赤にほてっていたので、彼等がどれほど興味を感じていたかが分る気がして、彼は嬉しかった。みんなは眼をくるくるさせていたが、プリムロウズだけはそうでなかった。彼女の眼には本当に涙がうかんでいた。というのは、ほ
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