ンが待ちに待っている間というものは、いやになってしまうほど長く、そして気がもめました。彼はカイミアラから逃げ出したという風に、アイオバティーズ王に思われはしないかと心配しました。また彼は、カイミアラと闘いもしないで、きれいなピリーニの泉の水がきらきらした砂の中から湧き出して来るのを、こうして仕方なしにぼんやりと眺めている間に、あの怪物がどれほど多くの害をしているかを考えると、心苦しくなりました。そして、ペガッサスは、近年ではこっちへ出て来ることは稀で、人の一生の間に一度くらいしかおりて来ないので、ビレラフォンは、その翼のある馬が現れるまでに、彼はおじいさんになってしまって、腕の力も心の勇気もなくなってしまうのではないかと心配しました。おう、一人の冒険的な青年が、この世に生れて来た役目を果して、世界に名を挙げる日を待ちこがれているのに、なんと時間はのろくさくたって行くのでしょう! 待つということは、何というつらい教訓でしょう! われわれの一生は短い、それなのに、ただそれだけのことをわれわれに教えるために、何と長い時間をとるのでしょう!
 あのおとなしい子供が、彼にすっかりなついてしまって、少しも厭きることなく彼の傍についていてくれたのは、ビレラフォンにとって仕合せでした。毎朝その子供は、彼の胸の昨日の希望が凋《しぼ》んだあとへ、新しい希望を与えてくれました。
『ビレラフォン兄さん、』彼の顔を、希望に満ちて見上げながら、その子はいつも叫ぶのでした、『僕達、今日はペガッサスを見そうな気がするよ!』
 そして、もしもこの小さな男の子の、ぐらつくことのない信念がなかったら、ビレラフォンはおしまいに希望をすっかり捨ててしまって、リシアへ帰って、翼のある馬の力を借りないで、一生けんめいカイミアラを倒そうとしていたかも知れません。そして、その場合には、気の毒なビレラフォンは、少なくとも、その怪物の息吹《いぶき》でひどい火傷《やけど》をして、その上十中八九までは、殺されて、食われてしまっていたことでしょう。何人《なにびと》も、まず天馬の背に跨がることが出来なければ、地に生れたカイミアラと闘おうとしてはならないのでした。
 或る朝、例の子供は、いつもよりも一層希望に満ちて、ビレラフォンに言いました。
『大好きなビレラフォン兄さん、』と彼は叫びました、『僕なぜだか知らないけれど、今日こそたしかにペガッサスを見そうな気がするよ!』
 そして、その日は一日中、彼はビレラフォンの傍から一歩も動こうとしませんでした。そんなわけで、二人は固くなった一きれのパンを分けてたべ、泉の水を飲みました。午後になっても、彼等はそこに坐って、ビレラフォンはその子供に腕をかけ、その子供の方でもまた、ビレラフォンの手の中に彼の小さな手を置きました。ビレラフォンは自分の考えに気を取られて、ただぼんやりと、泉に影を落す木の幹や、その枝にからんでいる葡萄のつるを見つめていました。しかし、おとなしい子供の方は、じっと水の中を見おろしていました。彼は、これまで幾日も幾日もそうであったように、今日もまた希望が裏切られるのではないかと、ビレラフォンのために、心を痛めているのでした。そして、二三滴の静かな涙が彼の目からこぼれて、子を失った時にピリーニが流した多くの涙だといわれている泉の水にまじりました。
 しかし、少しもそんなことをあてにしていない時に、ビレラフォンは子供の小さな手がぎゅっと力を入れるのを感じ、静かな、ほとんど聞き取れないほどの囁きを聞きました。
『あれごらん、ビレラフォン兄さん! 水の中に影が映っています!』
 青年は、さざなみ立った泉のおもてを見おろしました。そして、ずうっと空中高く、真白か銀色かの翼を日の光にかがやかして飛んでいるらしい鳥の影とおぼしいものを見ました。
『あれはとてもすばらしい鳥にちがいないよ!』と彼は言いました。『そして、雲よりも高く飛んでいるにちがいないのに、なんと大きく見えるんだろう!』
『あれを見ると、からだがふるえる!』と子供は小さな声で言いました。『僕は空を見上げるのがこわい! それはとても美しいんだけど、僕は水に映った影だけしか見る勇気が出ない。ビレラフォン兄さん、あれが鳥じゃないってことが分らないの? あれは翼のある馬、ペガッサスですよ!』
 ビレラフォンの胸は、どきどきして来ました! 彼は一心に見上げましたが、鳥だか馬だか、とにかくその翼の生えたものは見えませんでした。何故なら、ちょうどその時、それは羊の毛を浮かべたような夏雲の奥へ飛び込んだところだったからです。しかし、すぐまたそれは、雲の中から軽く下に向って姿を現しました。それでもまだ、地上からは大変な距離がありましたが、ビレラフォンは子供を腕にかかえ込んだまま、あとずさりをして、二人とも泉のまわりに生えている繁った灌木《かんぼく》の中へかくれてしまいました。どうかされはしないかとおそれたわけではなく、もしもペガッサスが彼等をちょっとでも見たら、遠くへ飛び去って、どこかの近づけないような山の上へでもおりてしまうといけないと思ったからでした。というのは、飛んでいたのは本当にペガッサスでしたから。今日まで長い間彼等は待たされましたが、とうとうペガッサスはピリーニの水で喉をしめすためにやって来たのでした。
 君達は鳩がおりて来る時にそんな風にするのを見たことがあるでしょうが、大きく輪をかいて飛びながら、この空の驚異はだんだんと近づいて来ました。そうした広い、大きな輪を、少しずつ地上に近づくにつれて、だんだん狭く、小さくしながら、ペガッサスはおりて来ました。だんだん近くで見るほど、それは一層美しく、その銀翼《ぎんよく》が輪をかいて飛ぶさまはいよいよすばらしい気がしました。とうとう、それは、泉のまわりの草も倒さず、岸の砂にも、蹄《ひづめ》の跡がつかないほど、ふうわりと地上におり立って、そのたくましい首を垂れて、水を飲みはじめました。それは、長い、気持のよさそうな溜息をしたり、いかにもおいしいといったように、静かにちょっと休んだりしながら、水を飲みました。それから、また一杯、また一杯、また一杯。というのは、世界のどこへ行っても、雲の中をどう捜しても、ペガッサスには、ピリーニの水ほど気に入った水はなかったからでした。そして、喉の渇きがなおると、うまごやしの甘い花を少しばかりむしって、お上品にたべてみました。しかし、こんな平凡な草よりも、ヘリコン山の高い中腹の、雲のちょっと下あたりの草の方が、彼の口にはずっとよく合っているので、お腹《なか》一ぱいにたべる気はありませんでした。
 こうして心ゆくまで水を飲み、そして、贅沢屋がうまいものだけちょっと味を見るといったような、草の食べ方をしてから、この翼のある馬は、あちこちはね廻ったり、まるで退屈半分、遊び半分みたいに踊ったりしはじめました。このペガッサスほど、飛んだり跳ねたりするのが好きなものもありませんでした。だから、考えただけでも気持がいいくらい跳ねまわって、その大きな翼を、紅雀《べにすずめ》も及ばないほどの軽さで、ばたばたさせたり、半分は地上を、半分は空中をといった風に、一体飛んでいるのか駆けているのか分らないような走り方で、ちょっと競争みたいなことをやったりしました。立派に飛ぶことの出来る動物は、ただなぐさみに、駆けてみたりするものです。ペガッサスも、蹄《ひづめ》をなるべく土地にくっつけるようにして駆けることは、少し骨が折れましたが、ちょっとそんなことをやってみたのです。一方、ビレラフォンは、子供の手を取ったまま、灌木の中からのぞいて見ましたが、こんな美しい見ものもなければ、また、これほどはげしい、きかん気の眼をした馬もないと思いました。なんだか、あんな馬に馬勒をかけて、乗り廻すなんてことを考えるのは、おそろしいような気もしました。
 一二度ペガッサスは立止まって、耳を立て、頭を振って、ぐるっと四方に頭を向けながら、何だか知らないが悪いことがありそうだということを多少感づいたような風に、くんくんとその辺を嗅ぎました。しかし、何も見えないし、何の音も聞えないので、すぐまた、おどけた身振りをしはじめました。
 とうとう――へとへとになったというのではなく、ただ怠けて、いい気持になっているだけなんですが――ペガッサスは翼をたたんで、やわらかい緑の草の上にねそべりました。しかし、あまりにも軽快な生気に満ちているので、長い間つづけてじっとしていることが出来ず、すぐに、ほっそりとした四本の脚を上にあげて、仰向《あおむけ》にころがりました。同類を神様が決しておつくりにならず、また仲間の必要なんか感じもしないで、何百年も生きて来た、このひとりぼっちの動物が、その何世紀かの長さにも劣らぬ幸福さを味わっているのを見るのは美しいものでした。それが普通の馬がいつもするようなことをすればするほど、よけいに天馬めき、ますますすばらしく見えるのでした。ビレラフォンと子供とは、一つには嬉しいような、こわいような気持から、しかしそれよりもなお、彼等がちょっとでも身動きしたり呟《つぶや》いたりしようものなら、ペガッサスが弓をはなれた矢のような速さで、青空のはてまで飛び去りはしないかと心配し、息をころさんばかりにしていました。
 とうとう、ころがるだけころがってしまうと、ペガッサスはくるりと起きなおって、呑気そうに、ほかのどんな馬でもする通りに、立とうとして前脚を突き出しました。ペガッサスがこうするだろうと、かねて見当をつけていたビレラフォンは、この時不意に繁みから飛び出して行って、その背中にひらりと跨がりました。
 そうです、彼はその翼のある馬の背中にまたがったのです!
 しかし、はじめて人間の重みというものを腰に感じた時、ペガッサスはどんなに飛び上ったでしょう! 全く、ものすごい飛び上り方でした! 息もつかないうちに、ビレラフォンは五百フィートも高いところへ上っていました。ペガッサスは、びっくりと腹立ちとで、鼻を鳴らし、からだをふるわせながら、なおも上に向けて鉄砲玉のように飛んで行くのでした。上へ上へと、どんどん昇って行って、とうとう、つめたい、霧のような雲の中へ飛び込んでしまいました。それは、つい今さっき、ビレラフォンが下から眺めて、随分気持のよさそうなところだなあと思っていたのでしたが。それからまた、雲のまん中から飛び出して、自分も乗り手ももろとも、岩にぶっつけるつもりかと思われるほどの勢いで、雷のように落ちて行きました。それから彼は、今までに鳥でも馬でもやったことはあるまいと思われるような荒っぽい跳ね方を、おおよそ千ほどもしました。
 僕はペガッサスのやったことの半分だって話すことは出来ません。彼はまっすぐに飛んで行くかと思うと、さっと横にそれたり、ぱっとあとへもどったりしました。彼は輪のようになった雲の上に前脚を乗せて、後脚の足場がまるでないところで、棒立ちになりました。彼は後脚をうしろへ投げ出して、翼をまっすぐに立てながら、頭を前脚の間へ突込みました。地上から二マイルも上のところで、宙返りもやりました。その時には、ビレラフォンも真逆様になって、空を見上げるのではなくて、見下しているような気がしました。彼はくるりと首をよじって、らんらんと燃えるような眼で、ビレラフォンの顔をにらみながら、おそろしい勢いで咬みつこうとしました。彼はあんまりはげしく翼をばたばたやったので、銀色の羽根の毛が一つ振り落されました。それはひらひらと地上にむかって落ちて行って、あの子供に拾われ、その子はそれを、ペガッサスとビレラフォンとの形見として、一生持っていました。
 しかし、ビレラフォン(彼が、今までに馬を走らせたどんな人にも負けないほどの乗り手だったことは、君達も判断がつくでしょうが)は機会を待っていて、とうとうあの魔法のかかった馬勒の金のくつわを、ペガッサスの口にはめ込みました。こうしてくつわをはめてしまうと、たちまちペガッサスは、小さい時からビレラフォンに飼われて来た馬でで
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