てこの時、ほんのつまらないことながら、ちょっと不思議なことが起りました。その杖がひとりでに地面から起き上って、その小さな両方の翼をひろげて、半分|跳《は》ねるように、そして半分は飛ぶようにして、家の壁のところに立てかけたようになったのです。そのままそれはじっとしてしまって、ただ巻きついた蛇が、相変らずうごめいているだけでした。しかし、僕の考えでは、フィリーモン爺さんの眼が悪いから、またそんな風に見えたのかと思います。
爺さんが何か訊いてみようと思っているうちに、年上の方の旅人が彼に話しかけて、その不思議な杖から彼の注意を外《そ》らしてしまいました。
『ずうっと古い昔には、いま村のあるところ一帯が、湖だったんじゃありませんか?』とその旅人は、大変深い調子の声で尋ねました。
『わしが知ってからは、そんなことありませんよ、お前さん、』とフィリーモンは答えました、『わしもごらんの通りの年寄ですがね。以前から、今の通りの野原や牧場ですよ、それから、古い木も、谷のまん中をせせらぎ流れる小川もね。わしの知っている限りじゃ、おやじの代にも、またそのおやじの代にも、同じことだったようですよ。そしてこのフィリーモンじじいが、死んで、忘れられる時が来ても、やはり同じことでしょうよ!』
『そうとばかりも言いきれない、』と見知らぬ人は言いましたが、その深い声には、どことなく大変きびしいところがありました。そのうえ、彼は頭を振りましたが、そのために彼の黒い、どっしりとした巻毛が、ぶるぶるとふるえました。『向うの村に住む人間たちが、彼等の天性の愛と情《なさけ》とを忘れてしまった上は、湖が再び彼等のすまいの上に、漣《さざなみ》をたてた方がいいかも知れない!』
その旅人の顔附があまりきつかったので、フィリーモンはほんとにちょっとこわくなったくらいでした。それに、彼が顔をしかめると、夕闇が俄かに一層暗さを増すように思われ、彼が頭を振ると、空中でごろごろと雷のような音がするので、よけいにこわくなりました。
しかし、すぐそのあとで、その見知らぬ人の顔が、大変やさしく、おだやかになったので、老人はすっかりこわさを忘れてしまいました。それでも彼は、この年上の方の旅人は今こそこんな見すぼらしいなりをして、徒歩で旅行をしているけれども、決してただの人ではないにちがいないと感じないではいられませんでした。しか
前へ
次へ
全154ページ中112ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ホーソーン ナサニエル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング