五大堂
田澤稲舟
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)丁《よぼろ》
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぐづ/\くりかへして
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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(一)
世にうれしき事はかずあれど、親が結びし義理ある縁にて、否でも否といひいでがたき結髪の夫にもあれ、妻にもあれ、まだ祝言のすまぬうち、死せしと聞きしにまさりたるはあらずかし。こゝに娘で名高き青柳子爵の一人姫糸子といへるも未来の夫とさだめし人の、心に染まぬそれ故に、うき年月をおくりしが、この頃おもき病にてうせしときゝしうれしさに、今まで青き顔色も、きのふにかはる美くしさ。しづみ心もうき立ちて、腰元どもを相手とし、遊びに余念もあらぬ折から、兄の房雄は入りきたりて「オヤ糸子さん、造花ですか、ヤア照も初も大変上手になつたね」といはれて二人ははづかしさうに「どういたしまして私どもはとてもお姫様のやうにはできませんもの」「いやさうぢやない、中々うまいよ」糸子はにこにこわらひながら「兄様、あなたには花籠をこさへて上げませうか」「アどうか……私には牡丹をこさへててうだい」糸子はさくらの葉に蝋を引ながら「牡丹は下手ですもの」「下手でもいゝの」「ぢやあしたまでね」「アア……それから今私は一寸学校に行てくるが、留守にいつもの丁《よぼろ》さんが来るかもしれないから其時は糸子さん、否でもすこしの間話相手になツてゐて下さいよ、ぢきかへるから……ね、外の人ぢやないからいゝでせう」なに故か糸子は顔をあかめながら「ハイ私には面白いお話なんぞできませんけれども、照も初もゐますから屹度お引とめ申しておきますよ」と腰元二人の方を見る、照はすこし笑ひながら「どうして、私どもなんぞお引とめ申たつて、なんのかひも御座いませんが、お姫様がお引とめ遊すもんなら、どんなお忙しい時だつて、今宮様は屹度そりや、お帰りになる気づかひはありませんよね、お初さん」これもおなじく笑ひながら「ハアさうですとも、ね、若様、只今照が申通りで御座いますから、御心配なさらずと、早くお出遊ばせ。」
× × ×
噂をすればかげとやら、まもなくきたりし今宮は、優にやさしき姿ゆかしく、心ある人は其艶なるにまよはされて、我にもあらずたましひもありかさだめず、うかれいづべけれど、心なき人々はいかににやけし男とや見ん。衣服はれいの小紋の三枚かさねに、黒ちりの羽織なまめかしく、献上博多帯のあたり、時々ちらつく金鎖に、収入にくらべて借金の程もしられ襟のほとりの香水も、安物ならぬしるしには、追風遠くかをる床しさ。お初もお照も無言のまゝ、しばし見とれてぼんやりせしが稍ありて心づき茶菓もてこんとていでゆくを見おくりながら、今宮はきまりわるげの糸子にむかひ「ハハアさうでしたか、しかしお留守のところへ上つて、お気の毒でございますね」姫はいとゞはづかしげに「どういたしまして兄はぢきかへりますから御退屈でせうがすこしお待ち遊ばせな」「ハイありがたう……イヤどうか決しておかまひ下さらないやうに」糸子はかたへの写真帖をいだしながら「なんのちつともおかまひ申ませんで……今宮様、あなたこれをごらん遊したの」手にとりて「イヽヱまだ拝見いたしません……オヤこれはあなたですね、どうもお立派ですこと」「アラおなぶり遊しては否でございますよ」「勿体ない、なぶるなんてほんとうです」といひつゝしばし見とれしが、気をかへて、其次をあけて「これは花園女史ですね、あなた御懇意なんですか」「ハイよく時々いらつしやいますよ」「随分評判の方ですが、さうですか実際…」「ハイしかし世間の人はとかくわるくいひますが、あの方があんなにおなりなさつたのも全く社会とかの罪でせうよ、……幼少い時からよくひどい目にばかりおあひなさつたさうですから」「ハハアさうですか……いや女の小説家なんてへものは、ほんとに、かあいさうなものですよ少し自分の思ふ事を筆にまかせて書く時は、すぐおてんばだのなんのといはれますからね……それをおそれてかきたい事もかゝずにゐるのは、つまり女らしいのなんのとほめられたい慾心と、世人の評には屈しないといふ勇気のないよりおこるんですが、この花園女史は決してそんな臆病ではないやうですね」「さうで御座いますよ、ほんとにお話でもお遊びでも、あまり活発すぎて、丸で男の方のやうで御座いますもの、そのかはりさつぱりして同じ事などぐづ/\くりかへして、泣たりくどいたりなんぞは一度もなさつた事御座いませんの」「ハハアなる程さうですかね……ぢや私みたやうに、不活発な女のやうな者をあなたは屹度おきらひでせうウフフフ」なに故か糸子はあはてゝ顔をあからめ「アラ私は花園女史をすきだとは申しませんよ」今宮はわらひながら「ナニお好だつてわるいとは申ません」「イヽヱ好では御座いませんがあなたこそ私みたやうな陰気なものは、おきらひで御座いませう」「なんの私は女のあらつぽいのは好きませんから……」「うそ仰り遊せ……しかし私は……私はあきらめてゐますから」不思議さうに糸子を見て「なにをあきらめなさつたんです」「なんでもようございますの」
(二)
腰元のお京と、御寵愛のポチをともにつれて、こんもり繁りし青葉の木蔭、運動がてら散歩せんとて、お庭にお出遊ばされし御前の、まだ五分間もたゝぬのに、早くもお居間におかへりありしのみならずあはたゞしくお召とはなにごとならんと、三太夫いそぎ御前にすゝみいでゝかしこまれば、いつになきふけうげなお顔色にて「これ杉田、よんだのは外でもないが、今はなれにきて房雄と話をしてるのは、少しも聞おぼえのないやうな声だつたが、どなたかの」はてな妙なことをお聞き遊すと思ひながら「ハツ若殿様が此頃から御懇意に遊す小説家、放蕩山人と申方で御座います」ときいて、御前は眉をひそめ「ン小説家か、宝塔山人とは仏くさい名ぢやが……」「御意で御座います、歌舞の菩薩に縁のありさうな、結構な雅号で御座います」御前はフフと苦笑して「イヤそんな事はともかく、房雄はどうして戯作者なんぞと懇意になつたか、お前はよく知つてるだらう、ここでくはしく話しなさい」作者と懇意なのがどうしたと、仰るんだらうといぶかりながら「ハツよくはぞんじませんで御座いますが、此春の試験休みに、鎌倉から江の島の方へ御出遊した時、恵比寿やとかで御懇意におなり遊した御様子で御座います」「ンなる程、あの時は誰が供だつたかな」「さやうで御座います、別にお供の者はまゐらず、只御学友の若様方ばかりでお出遊しました」「なる程、一人で行つたつけな……ンぢやお前の落度ではない」落度ときいて三太夫びつくりして御前を見る。御前は猶も語をついで「イヤおれのやうな老人は今の小説家とかいふ者の才学はどんなものか、品行はどんなものか一向に知らないが、しかし昔の戯作者などといふものは、大抵普通のまじめな人間とはちがツての、いはゞこれといふきまつた職業もなく、しツかりした学問もなく、マアきゝかぢりの漢学か何かを、どうやらかうやらつかひこなして、俗人を驚かせたやうな質のもので、其上品行なども皆みだらなものばかりで、つまり其持つて生れた小才で、世の中を胡魔化して、一生貧しく賤しく送たものばかり多かつた、それで今の小説家も、やつぱりさうだらうといふではないが、房雄は只さへあゝいふ軟弱な質だから、なる丈軍人か何かを友人にして、さういふ風の人にはあまりつきあはせたくないとおもふが……何とか遠ざける工夫をしたいものだがの」落度の意味のわかりしに、三太夫やつと落つき「御意で御座います、只見うけましたところでは放蕩山人もいたつてよい方のやうで御座いまするが御前の思召をうかゞへば、また若殿様の御身の上も案じられますから、猶あの方の善悪を聞きたゞして、もしもお為にならないやうな事が御座いましたら、なるべくお腹立にならないやう、若殿様に御意見を申上ませう」「イヤ人間のよしあしにかゝはらず、おれは小説家ときくと、実に身ぶるひがする程きらひだから、ぜひ遠ざけてもらひたい」。
折から殿の愛妾お露の方、しづかにこゝに入りきたりて横目でぢろり三太夫をにらみしが、電光石化首ふりむけ、殿を見る目はきはめてやさしく、したゝるやうな媚をふくみ、いひにくさうにくごもりながら「アノ……只今ちよいとお次で伺ひましたが……アノ…‥御前様」殿はわるいところへきたといふやうなおこゑで「露、何か用があるのか」「ハイ」涙ごゑで三太夫の方にむき「アノ……何で御座いますが、私へは今日かぎりおいとまを下しおかれまするやうに、もし杉田さん、どうか御前様におねがひ下さいまし」御前は意外に吃驚して「露、何が気に入らなくつてさ様の事を申のぢや」いはれて猶々涙ごゑで「何の勿体ない、気にいらぬなどゝ……決して/\さやうの事では」「では何ぢや」「ハイ……あの御前様のおいとひ遊す放蕩山人とは、私の兄、今宮丁の事で御座いますから、其妹の私もとてもながくは……」きいて御前は意気地なくも「さやうか、露の兄とはしらなかつた」きまりわるげに三太夫の方にむき「これ杉田、そんならすこしもくるしうない、何ぞうまいものでも沢山御馳走してやるがいゝ」変幻自在にあきれはてゝ、思はずしらず三太夫「ハツ今度はさ様に遊しますか」。
(三)
立聞されしもつゆしらず、はなれにきてゐる放蕩山人ホーレル水でも呑みしものか、日本人とは思はれぬほどつや/\する色白な格恰のよい顔に、ぞつとするほど愛嬌のあるゑくぼをよせながら「イヤどうも驚きますね」と不意にいはれて房雄も驚き「ヱどうかしましたか」「イヱあなたの此書斎です」「書斎がどうかしましたか」「ハア始めて私が伺つた頃は、御本はいづれも書棚や本箱にちやんとかたづいておりましたつけが、此頃ぢやいつ上つても、新聞雑誌やなにやかや、大変乱雑におとりちらしで丸で私の書斎のやうですから、どうして俄にさう無性におなりなさつたかと、実に驚きますよ」「ハ……何ですよ、私もあなたにお目にかゝつてからは、どうもあんな四角張つた理屈くさい、法律なんぞ否で/\仕方ありませんし、又昔から好きな道ですから、何か一つ徒ら半分かいて見て、あなたに直していたゞかうと思ツて此頃から少しづゝつまらぬものを書き始めたもんですから、自然どうも取りちらしても、其まゝにばかりしておくですから」と若様決してまねして、わざとかうしたのではないとの言ひ訳、何やらきまりわるさうなり。放蕩山人は鼻のさきにて聞きゐしが、何のこいつ人まねか、鵜のまねの烏瓜買ふてうまいとほめる人もあるまじきは、いかに花族のひまでこまるかしらないが、くだらぬ寝言をかきならべて、小説で候法律否のと、著作三昧かたはらいたしと、心のうちではあざ笑ひしが、色には更にいださずして、さも感心したるらしく「ハハアさうですか、そりや何より結構です、失礼ですがおできになつたところを少し拝見ねがひたいもんですが」、といひつゝ、実に不作法にも青貝蒔絵の机の上に、何やらかきちらした草稿を会釈もなく引つたくれば、房雄はあはてゝ「アそれをみてはいけません、あなたまだそれはいけないのですから」といきなり山人の手からもぎとつて、無残折角書きし物をめちや/\に押丸めて、袂のなかにかくしたるを山人は笑つてあらそひもせず、無言でながめてゐたりしが稍ありて「いや、おできにならないものを拝見すると言たのは失れいでした、しかしマアどんな御趣向です」房雄は少し見られたかと、猶顔をあからめながら「趣向……ナニ大したものなんぞとてもできませんから、ほんのやき直しです、ごく古代めいた人情小説です」「ハハア人情小説……イヤそれほどむづかしいものはありませんよ、失礼ですがあなたなんぞまだお年もお若いから、実験なさつた事も少いでせうが、さういふものをおかきになるとは、実に敬服のいたりです」とあんに軽蔑の意をほのめかす。房雄は一向無頓着にて「イヤ其経験のないのに実にこまるんです、丸つきり書生ですから、とてもろくな物はできません」尤だ、よした方がよ
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