寡婦
モオパッサン
秋田滋訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)館《やかた》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]
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 バヌヴィルの館《やかた》で狩猟が催されていた、その間のことである。その秋は雨が多くて陰気だった。赧《あか》い落葉は、踏む足のしたでカサとの音もたてず、降りつづく陰欝な霖雨《りんう》にうたれて、轍《わだち》のなかで朽ちていた。
 あらまし葉をふるいつくした森は、浴室のようにじめじめしていた。一たび森へ足を踏みいれて、雨のつぶて[#「つぶて」に傍点]に打たれた大木のしたにいると、黴《かび》くさい匂いや、降った雨水、びッしょり濡れた草、湿った地面からあがって来る水分がからだを包んでしまう。射手たちはこのひッきりなしに襲ってくる水攻めに絶えず身をかがめ、犬も悲しげに尾を垂れて、肋骨《あばらぼね》のうえに毛をぺッたりくッつけていた。身体にぴッたり合った年わかい女の猟人たちの羅紗《らしゃ》服には雨が透っていた。彼らはこうして、毎日夕がたになると、身心ともに疲れはてて館へ帰って来るのだった。
 晩餐をすますと、彼らは、広間に集って、たいして興もなげにロト遊びをしていた。戸外《そと》では風が鎧戸に吹きつけて騒々しい音をたて、また古めかしい風見を、独楽のように、からから※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]していた。そこで一同は、よく本などにあるように、何かかわった話をしてみたらどうだと云いだした。が、ねッから面白い話も出なかった。男の猟人たちは射撃の冒険談や兎を殺した話などをした。女連のほうも頻りに頭を悩ましているのだったが、千一夜物語のシュヘラザアデの想像はとうてい彼女たちの頭には浮んで来なかった。
 この遊びももう止めにしようとしていた時である、先刻から、未婚の女でとおして来た年老いた伯母の手を弄ぶともなく弄んでいた一人の若い女が、金色の頭髪《かみのけ》でこしらえた小さな指環にふと目をとめた。その時までにも何遍となく見たことはあったのだが、別に気にとめて考えてみたこともなかったのである。
 彼女はそこでその指環を静かに指のまわりに※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しながら、伯母にこう訊いた。
「ねえ伯母さま。何でございますの、この指環は――。子供の髪の毛のようでございますわね」
 老嬢は面をあかく染めた。と思うとその顔はさッと蒼ざめた。それから顫《ふる》えを帯びた声で云うのだった。
「これはねエ、とてもお話しする気になどなれないほど、悲しい、悲しいことなんですの。私の一生の不幸もみんなこれがもと[#「もと」に傍点]なんです。私がまだごく若かった頃のことで、そのことを想うと、いまだに胸が一ぱいになって、考えるたびに私は泣きだしてしまうのです」
 居合わせた人たちはすぐにもその話を聴きたがった。けれども伯母はその話はしたくないと云った。が、皆《み》なが拝むようにして頼むので、伯母もとうとう話す決心をしたのだった――。

「私がサンテーズ家のことをお話しするのを、もう何遍となくお聞きになったことがあるでしょう。あの家も今は絶えてしまいました。私はその一家の最後の三人の男を知っておりました。三人が三人、同じような死に方をいたしました。この頭髪《かみのけ》は、そのなかの最後の男のものなのです。その男は、十三の年に、私のことがもと[#「もと」に傍点]で、自ら命をたって果てたのです。変なことだとお考えになるでしょうね。
 まったく、一風変った人たちでした。云わば気狂《きちが》いだったのですね。だが、これは愛すべき気狂い、恋の気狂いであったとも申せるのです。この一家の者は、父から子へ、子からまたその子へと、皆な親ゆずりの激しい情熱をもっていて、全身《からだじゅう》がその熱でもえ、それがこの人たちを駆って、とんでもない熱狂的なことをさせたり、狂気の沙汰とも云うべき献身的なことをやらせたり、果ては犯罪をさえ犯させるのでした。この人たちにとっては、それ[#「それ」に傍点]は、ある魂にみる信仰心と同じで、燃えるように強かったのです。トラピスト教会の修道士になるような人たちの性質は、サロンなどに出入りする浮気な人たちとは同日に云えないものがあるでしょう。親類の間にはこんな言葉がありました、――「サンテーズ家の人のように恋をする。」一瞥《ひとめ》見るだけで、分ってしまうのです。彼らはみんな髪の毛がうずを捲いていて、額にひくく垂れ下がり、髭は縮れ、眼がそれはそれは大きくて、その眼で射るように視《み》られると、何がどうということもなしに、相手の胸は乱れるのでした。
 ここにこういう形見を残していった人の祖父《おじい》さんにあたる人は、恋愛、決闘、誘拐などと数々の浮名をながした挙句の果に、かれこれ六十五にもなろうという年をして、自分のところの小作人の娘に夢中になってしまいました。私はその男も女もよく識《し》っております。その娘は金色の頭髪をもった、顔の蒼白い、淑やかな、言葉遣いのゆッたりとした、静かな声をして口を利く娘で、眼つきと云ったら、それはそれは優しくて、聖母の眼つきにそッくりと申したいほどでした。年をとった殿様は、その娘を自分の屋敷へつれて行ったのですが、まもなく、その娘が側《そば》にいなければ片時も我慢が出来ないと云うほど、のぼせ切ってしまったのでした。同じ屋敷に住んでいた娘さんと養女も、そうしたことを何でもない、ごく当り前のことのように思っていたのです。それほどまでに、恋愛というものがこの一家の伝統になっていたのです。こと、情熱に関する限り、彼女たちはどのような事が起ろうと驚きもしなかったのです。彼女たちの前で、誰かが、性格が相容れぬために対立してしまった男女の話とか、仲たがえをした恋人の話とか、裏切られて復讐をした話などをするようなことでもあると、彼女たちは二人とも云い合せたように、声をくもらせてこう云うのでした。
「まあ、そんなになるまでには、さぞかし、そのかたは辛い思いをなさったことでしょうねエ!」
 ただそれだけのことでした。愛情の悲劇にたいしては、彼女たちは、ただ同情するだけで、そうした人たちが犯罪《つみ》を犯した時でさえ、義憤を感じるようなことは決してありませんでした。
 ところがある秋のことでした。狩猟に招かれて来ていたド・グラデルという若い男が、その娘をつれて逃げてしまいました。
 ド・サンテーズさんは、何事もなかったように平然とした容子をしておりました。ところが、ある朝、何匹もの犬にとり囲まれて、その犬小舎で首を吊って死んでいたのです。
 その息子さんも、一千八百四十一年になさった旅の途次、オペラ座の歌姫にだまされたあげく、巴里《パリ》の客舎で、同じような死に方をして果てました。
 その人は十二になる男の子と、私の母の妹である女を寡婦として残して逝かれました。良人に先立たれた叔母は、その子供を連れて、ペルティヨンの領地にあった私の父の家へ来て暮しておりました。私はその頃十七でした。
 この少年サンテーズが、どんなに驚くべき早熟の子であったか、到底それは御想像もつきますまい。愛情というもののありと凡《あら》ゆる力、その一族の狂熱という狂熱が、すべて、サンテーズ家の最後の人間であったその子の身に伝えられてでもいるようでした。その子はいつ見ても物思いに耽っておりました。そして、館から森へ通じている広い楡《にれ》の並木路を、たッたひとりでいつまでもいつまでも、往ったり来たりして歩いているのです。私はよく部屋の窓から、この感傷的な少年が、両手を腰のうしろに※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して、首をうなだれて、淋しそうな足どりで歩いている姿を見かけました。少年は時折り立ちどまって眼をあげるのでしたが、何かこう、その年頃には相応しくないものを見たり、考えたり、感じたりしているようでした。
 月のあかるい晩などには、夕食がすむと、彼はよく私に向ってこう云いました。
「従姉《ねえ》さん、夢をみに行きましょうよ――」
 私たちは庭へ出ました。林のなかの空地の前まで来ると、あたりには白い靄《もや》がいちめんに立っておりました。林の隙間を月が塞ごうとするかのように、綿のような靄がいちめんに漂っておりました。すると、その子は出し抜けに立ちどまって、私の手をにぎり緊《し》めて、こう云うのです。
「あれを御覧なさい。あれを――。でも、従姉《ねえ》さんには僕というものがよく解ってないんですね。僕にはそう思えます。従姉さんに僕が解ったら、僕たちは仕合せになれるんだがなア。解るためには愛することが必要です」
 私は笑って、この子に接吻をしてやりました。この子は死ぬほど私に思い焦がれていたのです。
 また、その子はよく、夕食のあとで、私の母のそばへ行って、その膝のうえに乗って、こんなことを云うのでした。
「ねえ、伯母さま、恋のお話をして下さいな」
 すると私の母は、たわむれに、昔から語り伝えられて来た、一家のさまざまな話、先祖たちの火花を散らすような恋愛事件をのこらず語って聞かせるのでした。なぜかと云いますと、世間ではその話を、それには本当のもあれば根も葉もない嘘のもありましたが、いろいろ話していたからでした。あの一家の者は皆な、そうした評判のために身をほろぼしてしまったのです。彼らは激情にかられて初めはそう云うことをするのでしたが、やがては、自分たちの家の評判を恥かしめないことをかえって誇りとしていたのです。
 その少年はこうした艶ッぽい話や怖しい話を聞くと夢中になってしまいました。そして時折り手をたたいたりして、こんなことを幾度も云うのでした。
「僕にだって出来ますよ。その人たちの誰にも負けずに、僕にだって恋をすることが出来ますよ」
 そうしてその子は私に云い寄りました。ごく内気に、優しく優しく云い寄ったのでした。それが余り滑稽だったので、皆な笑ってしまいました。それからと云うもの、私は毎朝その子が摘んだ花を貰いました。また、毎晩、その子は部屋へあがって行く前に私の手に接吻して、こう囁くのでした。
「僕はあなたを愛しています!」
 私が悪かったのです、ほんとうに私が悪かったのです。いまだに私はそれについては始終後悔の涙にくれるのです。私は生涯その罪の贖《つぐな》いをして来ました。こうして老嬢をとおしております。いいえ、老嬢と云うよりも、婚約をしたッきりの寡婦、あの少年の寡婦として通して来たと申したほうが好いのでしょう。私はその少年のあどけない愛情を弄んだのです。それを煽り立てさえいたしました。一人前の男にたいするように、媚を見せたり、水を向けたり、愛撫をしたりしました。それにもかかわらず、私は不実だったのです。私はあの子を気狂のように逆《のぼ》せあがらせてしまいました。私にしてみれば、それは一つの遊び[#「遊び」に傍点]だったのです。また、それは、あの子の母にとっても私の母にとっても、愉しい気晴しだったのです。何にせよ、その子はまだ十二なのですからね。考えてもみて下さい。そんな年端もゆかぬ子供の愛をまにうける者がどこにあるでしょう! 私はその子が満足するだけ接吻をしてやりました。優しい手紙も書きました。その手紙は母親たちも読んでいたのです。その子は火のような手紙を書いて返事をよこしました。手紙はいまだに蔵《しま》ってあります。その子はもう一人前の男のつもりでいたので、自分たちの仲は誰も知らないものだとばッかり思っていたのでした。私たちはこの少年のからだをサンテーズ家の血が流れているのだということを忘れていたのです!
 かれこれ一年の間、こういうことが続きました。ある晩のことでした、少年は庭で出し抜けに私の膝のうえに倒れかかって来て、狂気のような熱情をこめて、私の着物のすそ[#「すそ」に傍点]接吻をしながら、こう云うのです。
「僕はあなたを愛
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