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ここにこういう形見を残していった人の祖父《おじい》さんにあたる人は、恋愛、決闘、誘拐などと数々の浮名をながした挙句の果に、かれこれ六十五にもなろうという年をして、自分のところの小作人の娘に夢中になってしまいました。私はその男も女もよく識《し》っております。その娘は金色の頭髪をもった、顔の蒼白い、淑やかな、言葉遣いのゆッたりとした、静かな声をして口を利く娘で、眼つきと云ったら、それはそれは優しくて、聖母の眼つきにそッくりと申したいほどでした。年をとった殿様は、その娘を自分の屋敷へつれて行ったのですが、まもなく、その娘が側《そば》にいなければ片時も我慢が出来ないと云うほど、のぼせ切ってしまったのでした。同じ屋敷に住んでいた娘さんと養女も、そうしたことを何でもない、ごく当り前のことのように思っていたのです。それほどまでに、恋愛というものがこの一家の伝統になっていたのです。こと、情熱に関する限り、彼女たちはどのような事が起ろうと驚きもしなかったのです。彼女たちの前で、誰かが、性格が相容れぬために対立してしまった男女の話とか、仲たがえをした恋人の話とか、裏切られて復讐をした話などをするようなことでもあると、彼女たちは二人とも云い合せたように、声をくもらせてこう云うのでした。
「まあ、そんなになるまでには、さぞかし、そのかたは辛い思いをなさったことでしょうねエ!」
ただそれだけのことでした。愛情の悲劇にたいしては、彼女たちは、ただ同情するだけで、そうした人たちが犯罪《つみ》を犯した時でさえ、義憤を感じるようなことは決してありませんでした。
ところがある秋のことでした。狩猟に招かれて来ていたド・グラデルという若い男が、その娘をつれて逃げてしまいました。
ド・サンテーズさんは、何事もなかったように平然とした容子をしておりました。ところが、ある朝、何匹もの犬にとり囲まれて、その犬小舎で首を吊って死んでいたのです。
その息子さんも、一千八百四十一年になさった旅の途次、オペラ座の歌姫にだまされたあげく、巴里《パリ》の客舎で、同じような死に方をして果てました。
その人は十二になる男の子と、私の母の妹である女を寡婦として残して逝かれました。良人に先立たれた叔母は、その子供を連れて、ペルティヨンの領地にあった私の父の家へ来て暮しておりました。私はその頃十七でした。
この少年サ
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