ら、伯母にこう訊いた。
「ねえ伯母さま。何でございますの、この指環は――。子供の髪の毛のようでございますわね」
 老嬢は面をあかく染めた。と思うとその顔はさッと蒼ざめた。それから顫《ふる》えを帯びた声で云うのだった。
「これはねエ、とてもお話しする気になどなれないほど、悲しい、悲しいことなんですの。私の一生の不幸もみんなこれがもと[#「もと」に傍点]なんです。私がまだごく若かった頃のことで、そのことを想うと、いまだに胸が一ぱいになって、考えるたびに私は泣きだしてしまうのです」
 居合わせた人たちはすぐにもその話を聴きたがった。けれども伯母はその話はしたくないと云った。が、皆《み》なが拝むようにして頼むので、伯母もとうとう話す決心をしたのだった――。

「私がサンテーズ家のことをお話しするのを、もう何遍となくお聞きになったことがあるでしょう。あの家も今は絶えてしまいました。私はその一家の最後の三人の男を知っておりました。三人が三人、同じような死に方をいたしました。この頭髪《かみのけ》は、そのなかの最後の男のものなのです。その男は、十三の年に、私のことがもと[#「もと」に傍点]で、自ら命をたって果てたのです。変なことだとお考えになるでしょうね。
 まったく、一風変った人たちでした。云わば気狂《きちが》いだったのですね。だが、これは愛すべき気狂い、恋の気狂いであったとも申せるのです。この一家の者は、父から子へ、子からまたその子へと、皆な親ゆずりの激しい情熱をもっていて、全身《からだじゅう》がその熱でもえ、それがこの人たちを駆って、とんでもない熱狂的なことをさせたり、狂気の沙汰とも云うべき献身的なことをやらせたり、果ては犯罪をさえ犯させるのでした。この人たちにとっては、それ[#「それ」に傍点]は、ある魂にみる信仰心と同じで、燃えるように強かったのです。トラピスト教会の修道士になるような人たちの性質は、サロンなどに出入りする浮気な人たちとは同日に云えないものがあるでしょう。親類の間にはこんな言葉がありました、――「サンテーズ家の人のように恋をする。」一瞥《ひとめ》見るだけで、分ってしまうのです。彼らはみんな髪の毛がうずを捲いていて、額にひくく垂れ下がり、髭は縮れ、眼がそれはそれは大きくて、その眼で射るように視《み》られると、何がどうということもなしに、相手の胸は乱れるのでした
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