に解るような悲惨な最後の理由を述べ尽しているのである。以下その手記である、――

 夜も更けた、もう真夜中である。私はこの手記を書いてしまうと自殺をするのだ。なぜだ? 私はその理由を書いてみようと思う。だが、私はこの幾行かの手記を読む人々のために書いているのではない、ともすれば弱くなりがちな自分の勇気をかき[#「かき」に傍点]立て、今となっては、遅かれ早かれ決行しなければならないこの行為が避け得べくもないことを、我とわが心にとく[#「とく」に傍点]と云って聞かせるために綴《つづ》るのだ。
 私は素朴な両親にそだてられた。彼らは何ごとに依らず物ごとを信じ切っていた。私もやはり両親のように物ごとを信じて疑わなかった。
 永いあいだ私はゆめ[#「ゆめ」に傍点]を見ていたのだ。ゆめ[#「ゆめ」に傍点]が破れてしまったのは、晩年になってからのことに過ぎない。
 私にはこの数年来一つの現象が起きているのだ。かつて私の目には曙のひかり[#「ひかり」に傍点]のように明るい輝きを放っていた人生の出来事が、昨今の私にはすべて色褪せたものに見えるのである。物ごとの意味が私には酷薄な現象のままのすがた[#「すがた」に傍点]で現れだした。愛の何たるかを知ったことが、私をして、詩のような愛情をさえ厭うようにしてしまった。
 吾々人間は云わばあとからあとへ生れて来る愚にもつかない幻影に魅せられて、永久にその嬲《なぶ》りものになっているのだ。
 ところで私は年をとると、物ごとの怖ろしい惨めさ、努力などの何の役にも立たぬこと、期待の空《うつろ》なこと、――そんなことはもう諦念《あきら》めてしまっていた。ところが今夜、晩の食事を了《おわ》ってからのことである。私にはすべてのものの無のうえに新たな一と条《すじ》の光明が突如として現れて来たのだ。
 私はこれで元は快活な人間だったのである! 何を見ても嬉しかった。途《みち》ゆく女の姿、街の眺め、自分の棲んでいる場所、――何からなにまで私には嬉しくて堪らなかった。私はまた自分の身につける洋服のかたち[#「かたち」に傍点]にさえ興味をもっていた。だが、年がら年じゅう同じものを繰返し繰返し見ていることが、ちょうど毎晩同じ劇場へはいって芝居を観る者に起きるように、私の心をとうとう倦怠と嫌悪の巣にしてしまった。
 私は三十年このかた来る日も来る日も同じ時刻に臥床《ふ
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