と、少し覚えのあるものなら、充分あの男を斃すことが出来るのだ。ちょっと跼んで、短刀をそこへ投げつける格好をやって見い」
 係官は、この南洋土人のような色の黒い男を、特に我々にはしなかったお前[#「お前」に傍点]と云う言葉で呼んだ。そして押しつけるような声音でそう云うと、もう罪人を扱うような態度で、その新しい撞手の肩の辺を押しやって、無理矢理球台の下へ跼ましていた。
 男の顔は蒼ざめていた。それから身体全体が、ぶるぶる顫《ふる》えているのが私にさえ見てとれた。
「とに角、お前は一応本署まで連行する。兇器はいったい何処へやったのだ」
 係官のその言葉は鋭かった。
「貴様|白《しら》を切って解らずにいると思うか! 貴様はこの間まで曲馬団にいたではないか! 印度《いんど》人に化けて投剣とか云うのをやっていたではないか。こら! 何故殺したか、そんなことは後でよろしい。兇器はいったい何処にかくした?」
 私はハッと思い当ることがあった。そうして捜査官の鋭さに一驚した。そうだそうだ、確にこの男はあの曲馬団にいた偽《にせ》の印度人に違いない。この撞球室へも今日はじめての客であった。来る早々から何か含むところがあるような態度で、私には好意は持てたが変に不審な気のする客であった。
 考えて見ると、なる程あの時、若し短刀を投げたとして、一番恰好な位置にいたのはこの男である。そう云えば、チョークを拾うためとのみ見た、すうっと跼んだままで伸びて行ったこの男の右手は、問題の短刀を握っていたのではあるまいか。いやチョークを拾うにしては、そうだ、右手の高さが確に床よりはだいぶ高い空間にあった。
「知りません――」
 と偽の印度人が云っていた。落付きが、黒い顔に浮んで来ていた。
「兇器なんて――どうかよくお調べになって下さい」
 係官は、実にむずかしい表情をしていた。怒声が、今にも爆発するかと思うような恐ろしい顔付であった。が「いまいましい奴」と噛みしめたように男を睨んだだけで、その怒声は放たれずに済んだ。
 明らかに、係官にも今一歩、つき進むことの出来ないものがあったのである。問題の兇器の行方の知れないことがそれであった。
 係官の推理の跡を辿《たど》って見ると、これが他殺に間違いないから、犯人は明白以上にこの南洋の男でなければならない。そのことは私にすらが充分うなずかれた。が兇器は? この問題に
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