には、すでに列車は激しいきしり音《ね》を立てながらカーヴを曲っていた。主従は彼等の面前に竪坑の真黒な入口が巨大な顎《あぎと》を開いて待っているのを見た。我々は真四角な入口の板蓋《いたおお》いを取り除いておいたのだ。軌条《レール》は既に、石炭の積載に便利なように坑のほとんど入口まで引込んであった、それだから坑のすぐ縁まで線路を導くためには、我々は二三本の軌条《レール》を継ぎ足しさえすれば事が足りたようなわけである。我々は客車の窓に二つの首を見た、カラタール氏が下に、ゴメズが上に、しかし二人は目前《めのまえ》に見たもののために、叫声《さけびごえ》ももはや凍ってしまったようだ。しかもなお、彼等は首を引込めようとはしなかった。おそらく眼の前の光景《ありさま》が彼等の総身を麻痺させてしまったのだろう。
『遂に最後の瞬間が来た、機関車は轟然たる大音響と共に坑の向う側に突撃した。煙筒《えんとつ》は断ちきれて空中に飛上った。客車と車掌乗用車とは粉砕されてごちゃまぜになり、機関車の残骸と共に、一二分の間坑口を一ぱいに塞いだ。やがてミシミシという音響を発して真ン中の部分がまず頽《くず》れ始め、続いて、緑色《りょくしょく》の鉄と、煙を吐きつつある石炭と、真鍮製附属品と、車輪と木片と長腰掛とが、奈落の底をめがけて、滝つ瀬《せき》のようにくだけ落ちて行った。我々はそれらの砕片が竪坑の岩壁に衝突するガラガラ………ガラガラという凄い反響を耳にした。そしてそれから全く長い間を隔てて、最後にドドーンというような深い地響きが脚下《あしもと》に轟いた。汽缶《ボイラー》が爆発したらしい。なぜなれば、その地響きに引続いて、鋭いがちゃがちゃいう音が聞え、まもなく湯気と煙の渦巻が闇黒《あんこく》の深淵から巻上った。みるみるそれは夏の日光の中《うち》に溶かされて行き、やがて全く消えてなくなった。凡てはふたたびハートシーズの廃坑の静けさに帰った。
『かくていまや多大の成功をもって計画をなし遂げた我々には、犯罪の証跡を残さないための努力だけがただ一つ残された。しかし分岐点にとどまっていた少数の工夫等は、すでに一たん仮設した軌条《レール》を剥がしてもはや元の状態に復帰させただろう。が、こちらは坑口を元通りに始末しなければならないのだ。煙突やその他の砕片やはすべて坑の中へ投込んだ。坑口は、再び覆いの板を持ち運んで元の通りに始末した。継ぎ足しの軌条《レール》は剥取って遠くへ運び去った。そこで一同はどさくさせぬように、しかし一刻の猶予もなく、国外へ逃げ延びる仕度をした。大部分は巴里《パリー》を指して、例の英国人はマンチェスターへ、そしてマックファースン[#「マックファースン」は底本では「マックファーン」]はサザムプトンへ、そこから亜米利加《アメリカ》へ移住するために。
『諸君は、ゴメズが窓の外へ書類袋を投げ出したというあの一事を覚えておるだろう。自分がそれを拾って巴里《パリー》の巨頭等の手に渡したことはもちろんの話だ。
『けれども我が閣下等よ、閣下等は余があの袋の中から一二枚の小形の書類を、あの事件の記念として抜取っておいたことを知るならば、いかなる感じを起すだろうか。自分は元よりそれらの書類を公表するつもりはない。しかし、そこが問題である、現在我が友の助けを求めつつ自分のために、我が友が敢てその挙に出《い》でない場合、自分は公表の外《ほか》にいかなる手段に出ることが出来るだろう? 閣下等よ、閣下等はこのヘルバート・ドゥ・レルナークが、味方として頼むべく、敵として恐るべき男子であることを信じてもよいはずだ。閣下等自身のため、たとえそれがこの自分のためでなくとも、一時《いっとき》をも失わぬように、――閣下よ、そして――大将よ、そして――男爵よ。(閣下等は上のブランクを自らうずめるがよい)

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『追――以上の陳述を読み直した時、自分はただ一つの言い洩しのあったことを発見する。それは不幸なる人マックファースンに関してである。彼は愚かにも彼の妻宛に手紙を出して、紐育《ニューヨーク》で会う約束をしたのだ。彼のような奴が、自己の大秘密を女に打明けかねまいかどうか、全く知れたものではない。彼すでに妻に手紙を送ったことによって、我々の堅い誓いを破っている以上、我々は彼を信用することが出来なくなった。そこで我々は彼をして、妻が亜米利加《アメリカ》へやって来ても決して会わないことを誓うべく余儀なくさせるため、断乎として迫った次第だ。』(完)
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底本:「「新青年」復刻版 大正10年(第2巻)合本2」本の友社
   2001(平成13)年1月10日復刻版第1刷発行
初出:「新青年 第二卷 第四號」博文館
   1921(大正10)年3月13日印刷納本
※「旧
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