はただ二三本の軌条《レール》を当てがって結び付けさえすればよかったのだ。工事は出来るだけ人目につかないように忍んでやった。それも、単に本線との連結点の軌条《レール》を布設し、そこに以前のように転轍器《ポイント》を装置しさせすればすんだのだ。枕木は昔ながらに埋設されていた。軌条《レール》と挟接鉄板と目釘とはすべて用意した、それらは皆その引込線の側線から取って来たものである。自分は、小人数の、しかしそれだけで充分な工夫等を督《とく》して、列車の疾走して来ない間に、凡ての準備をととのえておいた。遂に列車が進行して来た。列車は何の故障もなく安々と支線へ滑り込んだ。そのため、転轍器《ポイント》の動揺も二人の乗客には少しも気づかれないですんだようだった。
『かねて我々の計画では、火夫のスミスが例の手硬《てごわ》い機関手のジョン・スレーターをコロロホルム薬で麻酔させる手筈になっていた。けれども、この点においてはただこの点のみにおいては、我々の計画は失敗に帰した。なぜといって、火夫のスミスはその仕事を恐ろしく不手際にやったため、スレーターは取組合《とっくみあい》の最中に、機関車から墜落したのだから。そして、たとえ幸運が我々の側を見すてずに、スレーターが頸骨《くびほね》を挫折して即死してしまったとはいえ、この一事あるがため、もしさもなければ犯罪上の最大な傑作として、人々を言葉もないほど嗟嘆《さたん》させたでもあろうほどの玉に、一つの瑕《きず》をつけてしまったのである。
『しかし今や我々は、首尾よく列車を二キロメートルまでも、すなわち一|哩《マイル》以上も、支線の中へ引込んだ。この線は、ハートシーズの廃坑へ、以前英国の炭坑として最も大きなものの一つだったその場所へ通じているのだ、正確にいえば、通じていたのだ。が、諸君は、しかしこの廃線へ列車が進入して行ったことを一人も見たものがないとはおかしいという疑問を必ず発するだろう。自分はそれに対して次のように答える。この引込線は全線に亙《わた》って深い切通しの底を走っているのだ。そして何人かが切通しの縁に立っていない限りは列車の姿の眼に留まるはずがないからだと。いや、そこには実際一個の人間が立っていたのだ。それはかくいう自分である。自分がそこで何を見たか、それを諸君に語るであろう。
三
『これより先き、一人の我が助手は、例の列車が果して首尾よく引込線の方へ転轍されて行くかどうかを監視するため、転轍器の側に待っていたのだ。彼は四人の武装した仲間を引連れていた。それは、万一列車が本線を直進してしまうような惧れがあっても――我々はそれをことによると有り得べきことだと思ったからだ、転轍器《ポイント》が非常に錆び切っていたので――直ちに応急手段にうったえることが出来ようためだった。しかし、列車は故障なく引込線へ進入した。彼は自身の責任を余の手に移した。自分は炭坑の入口を見下ろすことの出来る位置に待っていた。自分自身も、仲間と同じように武装をこらして。何でも来いという調子だった、自分にはいつでも用意が出来ていたのだ。
『列車は首尾よく引込線へ滑り込んだ。と、その時、火夫のスミスは機関車の速力をちょっと緩めた。が、今度は更に最大速力で突進するように機械を廻しておいて、彼と車掌のマックファースンと例の英国人とは、時機を失わない内に車上から身を躍らして飛び下りた。最初にわかに速力を緩めた時それはさすがに二人の乗客の不審を買わないはずがなかった。けれども驚いて彼等が開かれた窓口へ頭を出した時には、列車はすでに疾風のように突進し始めていた。その時彼等二人がいかに乱心しただろうか、自分は考えるだに胸がすくような気がする。諸君自身も二人のその時の気持になってみるがよい――驚きの余り贅沢な客車の窓から外を覗くと、自分の列車は幾年《いくとせ》雨風にたたかれて真赤に錆び蝕《くさ》った廃線の上を死物狂いに突進している! 車輪は錆びた鉄路の上で物すごい叫び声を発して行く!
『その時カラタール氏は夢中に神に祈っていた、と自分は考える――彼の片手からは珠数のようなものがぶら下っていたのを自分は見たから。ゴメズは屠牛所の血の匂いを嗅ぎつけた牡牛のように咆《ほ》え続けた。彼は我々が線路の側に立っているのを見た。そして狂人《きちがい》のように我々に向って手振りをしてみせた。が、やがて彼は自分の手頸に掴みかかって、我々の方角目蒐《めが》けて大切な文書袋を投げつけた。もちろん、その意味は明瞭である。サア自分等はこの証拠を渡す、もし命を助けてくれるなら、何ごとも沈黙を守るという誓いの証拠品を渡す………という意味に相違ないのだ。しかし、仕事は仕事である。第一、列車はもはや我々の力でどうにもならぬではないか。
『ゴメズが咆え立てるのを止めた時
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