入院患者
コナンドイル
三上於莵吉訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)横《よこた》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|吋《インチ》

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 私の友シャーロック・ホームズ独特な人格をよく出しているお話をしようと思って、たくさんの私の記憶をさがす時、私はいつもあらゆる方面から私の目的に添うような話をさがし出そうとして苦労するのである。なぜなら、ホームズがその心理解剖に全力を注いだと思われるような事件、あるいはまた犯罪捜査に特別な方法を見せたと思われような事件は、事実において、みなさんにお話してもつまらないだろうと思われるような簡単な普通な事件が多いのだ。またその反対に、事件がかなり特異なもので劇的なものを彼が捜査した場合もあるのだが、そうした時にはしばしば、彼は彼の伝記作者として私が話してほしいと思っているにもかかわらず、何も話してくれなかったのである。私が『真紅の研究』と題して集めた小事件、またグロリア・スコット号の消失事件と共にあつめてあるもの、そうしたものは、彼の研究を永遠に悩ますであろう所の彼の両面、――シルラと渦巻(訳者註――イタリーのメッシナ海峡にはシルラと称する六頭の怪物と大渦巻とありて、その海峡をすぐる船はその二つのうち、いずれかの一つに必ず捕われたりと云う)――の好見本である。――ところでこれからお話しようと思っている事件については、実はホームズはそれほど充分に活躍してはいないのだ。が、しかもなお、その事件のすべてのつながりは、彼の伝記的物語から、これを除外することがどうしても出来ないほど、特異なものなのである。
 それは十月の陰鬱な雨の日であった。私達は鎧戸を半分とざして、ホームズはソファの上に横《よこた》わりながら、その朝郵送された一通の手紙をくり返し読んでいた。――私はインド勤務のおかげで、寒さよりは暑さのほうがしのぎよく、九十度ぐらいの温度は苦しくはなかった。――しかし読みつづけていた新聞はつまらなかった。議会が初まっていた。人々はみんな町から出かけていっていたが、私はニュウ・フォレスト森林の中にある草原《くさはら》や、サウス・シーの海岸にある砂浜にあこがれていた。帳尻の合わなくなった銀行勘定が、私に祝祭日をのばさなくてはならないようにしてしまったのである。――けれどもホームズには田舎も海も少しも魅力を持ってはいなかった。彼は百万の大衆の真ただ中に寝ころんで、空想と推理の糸を自由自在にひろげたりたどったりして、いろいろな未解決な問題に暗示を与えたりすることのほうを愛していた。自然の鑑賞力、そう云うものは彼のたくさんの才能の中にも座をしめることは出来なかったのだ。だから彼が田舎へ行くと云うことも、結局は都会の犯罪をさがすため、田舎の彼の兄弟の跡をつけて行くと云うような場合にすぎないのであった。
 私は、ホームズがしゃべりすぎていると云うことが分かったので、無味乾燥な新聞を側《かたわ》らにほうりなげて、椅子にうずまって黙想に耽った。と、ふいにホームズの声が、私の意識を呼びさました。
「君の云う通りだよ、ワトソン」
 彼は云った。
「それはこの問題を解決するのには、ちと無理な方法のようだね」
「最も不自然な方法だよ」
 私は叫んだ。が、その時、私は、彼が私の心の一番奥にあるものをちゃんと感じていると云うことに気がついたので、私は椅子の上に起き直り、思わず驚きの目を見張って彼を見詰めた。
「どうしたと云うんだいホームズ?」
 私は云った。
「僕は思いもよらなかったよ、こんなことは……」
 彼は私の驚愕を見て心から笑った。
「君は、僕が、もうだいぶ前に、ポーの書いた写生文の一つの中にある一節を、読んだことを覚えてるだろう。あの中に、用意周到な推論者が、その友達の腹の中の考えを見抜いてそれに従う所が書いてあったが、この場合もそれと同じことなんだ。――僕に云わせれば、僕は君が怪しいと疑っているような癖がいつもあるんだよ」
「いや、そんなことはないよ」
「たぶん、これは君の言葉からじゃなくって、君の目つきから気づいたことなんだろうと思うのだけど、ワトソン君。――君は今新聞をほうりなげて、何か考え出したろう。それを見た時、僕はそれに気がつくことが出来たんだ。そして結局君の意見に同意することになったんだよ」
 けれども私はまだ満足しなかった。
「今、君は、ある推理家が、彼が注意して見守っている一人の男の動作から、彼の結論を引き出したと云う例をひいていたね。もし僕の記憶に間違いがないとしたら、たぶんその場合には、その相手の男は石につまずいたり、星を眺めたり何かそんなことをしたはずだ。とこ
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