えも、みんなの騒ぎに加わっているのである。
この迷信騒ぎの馬鹿らしい発生を除いては、物事はむしろ愉快に見えているのである。われわれの南方に出来ていた浮氷は一部溶け去って、海潮はグリーンランドとスピッツバーゲンの間を走る湾流の一支流にわれらの船は在るのだと、わたしを信ぜしめるほどに暖かになって来た。船の周囲には、たくさんの小海蝦《こえび》と共に、無数の小さな海月《くらげ》やうみうし[#「うみうし」に傍点]などが集まって来ているので、鯨のみえるという見込みはもう十分である。果たしてその通り、夕食の頃に汐を噴いているのを一頭見かけたが、あんな地位にあっては、船でその跡《あと》を追いかけることは不可能であった。
九月十三日。ブリッジの上で、一等運転士ミルン氏と興味ある会話を試みた。
わが船長は水夫らには大いなる謎である。私にもそうであったが、船主にさえもそうであるらしい。ミルン氏の言うには、航海が終わって、給金済みの手切れになると、クレーグ船長はどこへか行ってしまって、そのまま姿を見せない。再び季節《シーズン》が近づくと、彼はふらりと会社の事務所へ静かにはいって来て、自分の必要があるかどうかを訊《たず》ねるのである。それまではけっしてその姿を見ることは出来ない。彼はダンディには朋輩を持たず、たれ一人としてその生い立ちを知っている者もない。船長として彼の地位は、まったく海員としての彼の手腕と、その勇気や沈着などに対する名声とによっているのである。そうして、その名声も彼が個個の指揮権を托される前に、すでに運転士としての技倆によって獲得したのであった。彼はスコットランド人ではなく、そのスコットランド風の名は仮名であるというのが、みんなの一致した意見のようである。
ミルン氏はまたこう考えている――船長という職は彼がみずから選み得るなかで最も危険な職業であるという理由によって、単に捕鯨に身をゆだねて来たのであって、彼はあらゆる方法で死を求めているのであると。ミルン氏はまた、それに就いて数個の例を挙げている。そのうちの一つは、もしそれが果たして事実とすれば、むしろ不思議千万である。ある時、船長は猟のシーズンが来ても、例の事務所に姿を見せなかったので、これに代る者を物色せねばならないことになった。それはあたかも最近の露土《ろど》戦争の始まっている時であった。ところが、その翌年の
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