に近い割にしては、実に田舎らしい所です。家《うち》のすぐ近くに宿屋が一軒と人家《じんか》が二軒と、それから広っ場《ぱ》の向う側に小屋が一つあるきりで、あとは停車場《ていしゃば》へ行くまで半道《はんみち》もの間|家《うち》一軒ありません。――私は商売で定《きま》った期間だけ町に行きます。しかし夏の間は行きません。――こんな風にして、私たちはこの田舎家《いなかや》で、思う存分幸福に暮していたんです。全く、この呪うべき事件が始まるまで、私たちの間には何の影もさしたことはなかったのです。――それに、ここでもう一つあなたに申上げておかなくてはならないことがあります。それは私たちが結婚した時、彼女は彼女の財産を全部私名義にしてしまったことです。――私はむしろそれに反対したんです。と云うのは、もし私が商業上で失敗したら、困ったことになりますからね。けれど彼女はきかないでそうしちまったんです。――そうです。ちょうど六週間ばかり前のことでありました。彼女は私の所へやって来て
「ねえ、ジャック」
と申すのです。
「いつか私の財産をあなたの名にした時、あなたはそうおっしゃったわね、もしお前がどれだけでも入要《いりよう》になったら、そう云えって……」
「そう云ったとも、あれは全部お前のものだもの」
と私は答えました。
「そう?――じア、私、百|磅《ポンド》入要なの」
と彼女は申しました。
私はその金額をきいてちょっと考えたんです。だって、たぶん着物か何かそんなものが買いたいんだろうと思ってたからです。で、私は訊ねました。
「何に使うの?」
「まあ。あなたは、俺はお前の銀行家《ぎんこうか》だってそうおっしゃったじゃアないの。――銀行家って、何《なん》にお金を使うかなんて訊ねるものじゃないのよ、分かったでしょう」
と、彼女は冗談にまぎらせて答えました。
「本当に必要なら、無論あげるよ」
私は申しました。
「ええ、本当に入るのよ」
「それなら、何《なん》に使うのか云わなくちゃいけないね」
「いつかは申上げるわ、たぶん。でも今は云えないのよ、ジャック」
こんなわけで私は納得させられてしまいました。これがつまり、私達の間に秘密が這《は》いり込んで来たそもそもの初めなんです。――私は彼女に小切手を書いてやりました。そしてそのままそんな事は忘れていました。後になって何か事件さえ起きなければ、それでなんでもなかったのです。けれど私はそれを思い出させられるような事件にぶつかってしまったんです。
それは、――さきほど私は、私たちの家のじき近くに離れ家《や》が一つあると申しましたね。――その離れ家と私たちの家《うち》との間には、広っ場があるんです。けれどその離れ家に行くには、グルグルと路《みち》を廻って、狭い路《みち》をおりて行かなくてはならないんです。ちょうどその狭い路《みち》の辺《あたり》は、樅《もみ》の小森になっているんです。私はよくその辺《へん》をブラブラしました。実際木の繁っている所っていいものですからね。――ところで、その離れ家ですが、八ヶ月もの間|空家になっていたんです。空家にしておくには本当に惜しいんで、小綺麗な二階があって、古風な入口で、周囲にはスイカツラがからみついていました。私は何回となくその前に立止っては、これでちょっと気のきいた農園住宅風なものを作れると考えました。
すると先週の月曜日の夕方のことでしたが、私が例によってその辺《へん》をブラブラしておりますと、その狭い途《みち》を何も積んでいない幌附《ほろつ》きの運搬車がやって来るのに出合いました。そしてその離れ家の入口の側《そば》にある芝生の上には、カーペットとかその他そんなものがおいてありました。――たしかに誰かがその離れ家に引越して来たんです。私はそれの前を通りすぎて立ち止りました。そしてよくブラブラしている人がやるように、その離れ家をボンヤリ眺めながら、私たちのすぐ近くへ来て住む人たちは、どんな種類の人なんだろうと想像してみました。と、私は、ふと、その家《うち》の二階の窓から、私をじっと見詰めている人の顔のあるのに気がつきました。
私はその顔を見た瞬間、どう云うわけか知りませんけれど、ゾッとしましたよ、ホームズさん。――私はその家《うち》からかなり離れていたので、その顔をはっきり見定めることは出来ませんでしたけれど、何かこう気持ちの悪い惨忍そうな所がありました、それが私の受けた印象でした。――私は、私を見詰めているその顔をもっと近くでよく見てやろうと思って、いそいで近寄っていったんです。すると急にその顔は引込んじまいました。まるで不意に部屋の暗《やみ》の中に※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《も》ぎ取られたように、急に見えなくなってしまったんです。けれど私は
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