しかし誰もそんな旅館を知っているものはなかった。その中《うち》に厩番の少年が、この事に対して一条の光明を与えてくれた。それはここから東ラストンの方に、ちょっと離れているところに、こう云う名前の農夫のあることを思い出してくれたのであった。
「そこはとても人里離れた農場かね?」
「えい、とても寂しいところです」
「どうだろう、――そこの人達は、まだここの事件について知らないだろうか?」
「さあ、たぶんまだきこえてはいないだろうと思いますが、――」
ホームズはしばらくの間、――静《じ》っと思案していたが、やがて小気味の悪い微笑をうかべた。
「おい若者君、――馬の用意をしてくれたまえ。御苦労だがこの書付を、エルライジと云う人の農場に持って行ってもらいたいんだ」
彼はポケットから、舞踏人のいろいろの紙片《かみきれ》を取り出した。そしてこれを前に並べて、机に向って何かやっていた。そして一枚の書付を少年に渡して、その書付をきっとこの宛名の人に手渡し、またどんな質問をされても、決して答えないようにと云うことを、くれぐれも云い含めた。その封筒の上の文字は、私の目に止まったが、ホームズの簡明な文字とは似も似つかず、苦心して手跡をかえたものであった。その宛名は、ノーフォーク、東ラストン・エルライジ農場、アベー・スラネー氏と云うのであった。
「検察官――」
ホームズは叫んだ。
「護衛の者を派遣してもらうよう、打電した方がいいと思いますがね。もし僕の胸算用に誤りがないとすれば、あなたはとても危険な犯人を護送しなければならないことになるかもしれないと思われますよ。いやこの書付を持ってゆく子供は、きっとあなたに電報を打たせることになりますよ。さてワトソン君、もし午後の汽車があるなら、我々はそれに乗った方がよかろう。やってしまいたい、面白い化学の分析の仕事もあったし、またこの事件の方はもう、さっさと片づいてしまいそうだから――」
その若者が出発してしまってからは、ホームズは今度は、下僕たちに指図した。もし夫人を訪ねて来た者があっても、決してその状態を知らせてはならないこと、――そしてその者を早速、応接間に通すこと――こう云うことを彼は、熱心に云い含めた。それから最後に彼は、もう仕事もなくなったから、いずれまた何か出てくるまで、ブラブラしていようじゃないかね、と云いながら、応接間の方に引き上
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