欲望を思い切ることであった。ハイドと運命を共にすることは、数多の利益や抱負を思い切り、一ぺんに、しかも永久に、人から軽蔑され友だちもなくなることであった。この両方を交換することは割が合わないように見えるかも知れない。しかし、まだもう一つ秤にかけて考えなければならないことがあった。というのは、ジーキルの方は禁欲の火の中にあってひどく苦しんでいるのに、ハイドの方は自分が失ったすべてを意識さえもしていない、ということであった。私の事情は不思議なものではあったが、こんな問題は、人間のように古くて、ありふれたものなのだ。これと大たい同じの動機や恐怖が、誘惑されて震えおののいている罪人《つみびと》のために運命のサイコロを投じたのである。そして私の場合には、大多数の人々の場合と同様に、自分の善い方を選びはしたが、それを固守する力が足りないことがわかったのである。
そうだ、私は、友人たちに取りかこまれて立派な希望を抱いてはいる、中年過ぎの不満な博士の方を択び、ハイドの変装で私が享楽した自由や、若さや、軽い足取りや、躍るような鼓動や、秘密の快楽に、きっぱりと別れを告げたのだ。私はこの選択をしたけれども、それにはたぶん無意識のうちに幾らかの保留を残しておいたのであろう。なぜなら、私はソホーの家を引払おうともしなかったし、またエドワード・ハイドの衣服を放棄しようともせず、それをやはり書斎に用意しておいたからである。しかし、二カ月の間は、私はその決心に忠実であった。二カ月の間は、私は、それまでになかったほど謹厳な生活を送り、その報償として良心にほめられた。けれどう[#「けれどう」はママ]、時がたつにしたがってとうとう私の恐怖はその生々しさがだんだん失われるようになり、良心の賞讃もあたりまえのことのようになってきた。私は、自由を求めてもがいているハイドのそれのような苦悶と切望とに悩まされ始めた。そして、とうとう、道徳心の衰えている時に、もう一度あの変身薬を調合して飲んだのである。
大酒家が自分の悪習について自分で理屈をつけるとき、彼がその獣のような肉体的無感覚のためにおかす危険のことを、五百度に一度でも気にかけることがあろうとは、私は思わない。私もまた自分の立場を永いこと考えてはいたけれども、エドワード・ハイドの主要な性格であるところの、完全な道徳的の無感覚と、いつでも悪を行おうとする狂
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