と》の上《うへ》には、所狭《ところせま》く鑿《のみ》も鉋《かんな》も散《ちら》かり放題《はうだい》。初手《しよて》は此《こ》の毛布《けつと》に包《くる》んで、夜路《よみち》を城趾《しろあと》へ、と思《おも》つたが、――時鳥《ほとゝぎす》は啼《な》かぬけれども、然《さ》うするのは、身《み》を放《はな》れたお浦《うら》の魂《たましひ》を容《い》れたやうで、嘗《かつ》て城《じやう》ヶ|沼《ぬま》の縁《ふち》で旅僧《たびそう》の口《くち》から魔界《まかい》の暗示《あんじ》を伝《つた》へられたゝめに――太《いた》く忌《いま》はしかつたので、……権七《ごんしち》に取寄《とりよ》せさした着換《きがえ》の衣《きぬ》は、恰《あたか》も祠《ほこら》の屋根《やね》に藤《ふぢ》の花《はな》が咲《さ》きかゝつたのを、月《つき》が破廂《やぶれひさし》から影《かげ》を落《おと》したやうに届《とゞ》いて居《ゐ》た。然《しか》も燃《も》え立《た》つばかりの緋《ひ》の扱帯《しごき》は、今《いま》しも其《そ》の腰《こし》のあたりをする/\と辷《すべ》つた如《ごと》く、足許《あしもと》に差置《さしお》かるゝ。
縋着《すがりつ》けば、ころ/\と其《そ》の掌《たなそこ》に秘《ひ》めた采《さい》が鳴《な》つた。
『ござるか。』
『…………』
『ござるか、ござるか。』
と蚯蚓《みゝず》の這《は》ふやうな声《こゑ》が階《きざはし》の処《ところ》で聞《きこ》える。
『誰《たれ》だ。』
と、うつかり、づゝと出《で》ると、つひ忘《わす》れた……づらりと其処《そこ》に案山子《かかし》ども。
バサリ
三十三
其《そ》の中《なか》の孰《いづ》れが言《ものい》ふ? 中気病《ちゆうきやみ》のやうな老《ふ》けた、舌《した》つ不足《たらず》で、
『おねんぎよ。』と言《い》ふ。
『おねんご。』
と又《また》訴《うつた》うる。……
糠雨《ぬかあめ》の朧夜《おぼろよ》に、小《ちひさ》き山廓《さんかく》の祠《ほこら》の前《まへ》。破《やぶ》れ簑《みの》のしよぼ/\した渠等《かれら》の風躰《ふうてい》、……其《そ》の言《い》ふ処《ところ》が、お年貢《ねんぐ》、お年貢《ねんぐ》、と聞《きこ》えて、未進《みしん》の科条《くわでう》で水牢《みづらう》で死《し》んだ亡者《もうじや》か、百姓一揆《ひやくしやういつき》の怨霊《おんりやう》か、と思《おも》ひ附《つ》く。其《そ》の莚旗《むしろはた》を挙《あ》げたのが此《こ》の祠《ほこら》であらうも知《し》れぬ。――が、何《なに》を求《もと》むる? 其《そ》の意《い》を得《え》ない。熟《じつ》と瞻《みつむ》れば、右《みぎ》から左《ひだり》から階《きざはし》の前《まへ》へ、ぞろ/\と寄《よ》つた……簑《みの》の摺合《すれあ》ふ音《おと》して、
『うけとろ、』
『受《う》け取《と》らう。』
『おねんご受取《うけと》ろ。』と言《い》ふのが、何処《どこ》から出《で》る声《こゑ》か、一本竹《いつぽんだけ》で立《た》つた地《ち》の中《なか》から、ぶる/\湧出《わきだ》す。
『おゝ、』
と思《おも》はず合点《がつてん》した。
『人形《にんぎやう》か、此《こ》の彫像《てうざう》を受《う》け取《と》らうと言《い》ふのか?』
中《なか》にも笠《かさ》ある案山子《かゝし》の頷《うなづ》くのが、ぱく/\動《うご》く。其《それ》は途中《とちゆう》からの馴染《なじみ》らしい。
『おゝさう、おぶおう、おぶさう。』と野良《のら》な音《おん》。恰《あたか》も、おゝ、然《さ》う負《おぶ》はう、負《おぶ》され、と云《い》ふが如《ごと》し。
『可《よし》、可《よし》、』
で、衣服《きもの》を被《か》け、彫像《てうざう》を抱《いだ》いたなり、狐格子《きつねがうし》を更《あらた》めて開《ひら》いて立出《たちいで》たつる、
『おい、案山子《かゝし》ども、』
と真面目《まじめ》に遣《や》つた。今《いま》思《おも》へば、……言《い》ふまでも無《な》く何《ど》うかして居《ゐ》る。
『御苦労《ごくらう》、御厚意《ごかうい》は受取《うけと》つたが、己《おれ》の刻《きざ》んだ此《こ》の婦《をんな》は活《い》きとるぞ。貴様《きさま》たちに持運《もちはこ》ばれては血《ち》の道《みち》を起《おこ》さう、自分《じぶん》でおんぶだ。』
と高笑《たかわら》ひをして、其処《そこ》で肩《かた》の上《うへ》に揺上《ゆすりあ》げた。抱《だ》いても腕《うで》に乗《の》つたのに……と肩越《かたごし》に見上《みあ》げた時《とき》、天井《てんじやう》の蔭《かげ》に髪《かみ》も黒《くろ》く上《うへ》から覗込《のぞきこ》むやうに見《み》えたので、歴然《あり/\》と、自分《じぶん》が彫刻師《てうこくし》に成《な》つた幼《おさな》い時《とき》の運命《うんめい》が、形《かたち》に出《で》て顕《あら》はれた……雨《あめ》も此《こ》の朧夜《おぼろよ》を、細《ほそ》く微《かすか》な雪《ゆき》のやうに白《しろ》く野山《のやま》に降懸《ふりかゝ》つた。
『出懸《でか》けるぞ、案内《あんない》するか、続《つゞ》いて来《く》るか。』
案山子《かゝし》どもは藁《わら》の乱《みだ》れた煙《けむり》の如《ごと》く、前後《あとさき》にふら/\附添《つきそ》ふ。……而《そ》して祠《ほこら》の樹立《こだち》を出離《ではな》れる時分《じぶん》から、希有《けう》な一行《いつかう》の間《あひだ》に、二《ふた》ツ三《み》ツ灯《あかり》が点《つ》いたが、光《ひかり》が有《あ》りとも見《み》えず、ものを映《うつ》さぬでも無《な》い。たとへば月《つき》の其《そ》の本尊《ほんぞん》が霞《かす》んで了《しま》つて、田毎《たごと》に宿《やど》る影《かげ》ばかり、縦《たて》に雨《あめ》の中《なか》へふつと映《うつ》る、宵《よひ》に見《み》た土器色《かはらけいろ》の月《つき》が幾《いく》つにも成《な》つて出《で》たらしい。
其《それ》が案山子《かゝし》どもの行《ゆ》く方《はう》へ、進《すゝ》めば進《すゝ》み、移《うつ》れば移《うつ》り、路《みち》を曲《まが》る時《とき》なぞは、スイと前《まへ》へ飛《と》んで、一寸《ちよいと》停《と》まつて、土器色《かはらけいろ》を赫《くわつ》として待《ま》つ。ともすれば曇《くも》ることもあつた。此《こ》の灯《ひ》はひく/\呼吸《いき》を吐《つ》く、と見《み》えた。
低《ひく》い藁屋《わらや》が二三軒《にさんげん》、煙出《けむだ》しの口《くち》も開《あ》かず、目《め》もなしに、暗《やみ》から潜出《もぐりだ》した獣《けもの》のやうに蹲《つくば》つて、寂《しん》と寝《ね》て居《ゐ》る前《まへ》を通《とほ》つた時《とき》。
『ばツさ、ばツさ。』
簑《みの》を鳴《な》らしたのではない。案山子《かゝし》の一《ひと》つが、最《も》う耳《みゝ》に馴《な》れて遠慮《ゑんりよ》のない口《くち》を開《あ》けた。
『ばつさよ、ばつさよ。』
『コーコー、来《こ》ーい、来《こ》い。』
と最一《もひと》つ※[#「口+堯」、152−15]舌《しやべ》つた。
ばさりと言《い》ふのが、ばさりと聞《き》こえて、ばさりと鳴《な》つて、其《そ》の藁屋《わらや》の廂《ひさし》から、畷《なはて》へばさりと落《お》ちたものがある、続《つゞ》いて又《また》一《ひと》つばさりとお出《で》やる。
鳥《とり》か獣《けもの》か、こゝにバサリと名《な》づくるものが住《す》んで、案山子《かゝし》に呼出《よびだ》されたのであらう、と思《おも》つたが、やがて其《それ》が二《ふた》つが並《なら》んで、真直《まつすぐ》にひよいと立《た》つ、と左右《さいう》へ倒《たふ》れざまに、又《また》ばさりと言つた。が、名《な》ではない。ばさりと称《とな》へたは其《そ》の音《おと》で、正体《しやうたい》は二本《にほん》の番傘《ばんがさ》、ト蛇《じや》の目《め》に開《ひら》いたは可《いゝ》が、古御所《ふるごしよ》の簾《すだれ》めいて、ばら/\に裂《さ》けて居《ゐ》る。
三十四
唯《と》見《み》ると、両方《りやうはう》から柄《え》を合《あ》はせて、しつくり組《く》むだ。其《そ》の破《やぶ》れ傘《がさ》が輪《わ》に成《な》つて、畷《なはて》をぐる/\と廻《まは》つて丁《ちやう》と留《と》まる。
案山子《かゝし》が三《み》ツ四《よ》ツ、ふら/\と取巻《とりま》いて、
『乗《の》つされ。』
『お人形《にんぎやう》、乗《の》つせえ。』と言《い》ふ。
『はゝあ、載《の》せろ、と言《い》ふのか、面白《おもしろ》い。』
案《あん》ずるに、此《こ》の車《くるま》を以《も》つて、我《わ》が作品《さくひん》を礼《れい》するのであらう。其《そ》の厚志《かうし》、敢《あへ》て、輿《こし》と駕籠《かご》と破《やぶ》れ傘《がさ》とを択《えら》ばぬ。其処《そこ》で彫像《てうざう》の脇《わき》を抱《だ》いて、傘《からかさ》の柄《え》に腰《こし》を据《す》えると、不思議《ふしぎ》や、裾《すそ》も開《ひら》かず、肩《かた》も反《そ》らず……膠《にかは》で着《つ》けたやうに整然《ちやん》と乗《の》つた、同時《どうじ》にくる/\と傘《からかさ》が廻《まは》つて、さつさと行《ゆ》く……
やがて温泉《いでゆ》の宿《やど》を前途《ゆくて》に望《のぞ》んで、傍《かたはら》に谿河《たにがは》の、恰《あたか》も銀河《ぎんが》の砕《くだ》けて山《やま》を貫《つらぬ》くが如《ごと》きを見《み》た時《とき》、傘《からかさ》の輪《わ》は流《ながれ》に逆《さから》ひ、疾《と》く水車《みづぐるま》の如《ごと》くに廻転《くわいてん》して、水《みづ》は宛然《さながら》其《そ》の破《やぶ》れ目《め》を走《はし》り抜《ぬ》けて、斜《なゝ》めに黄色《きいろ》な雪《ゆき》が散《ち》つた。や、何《ど》うも案山子《かゝし》の飛《と》ぶこと、ひよろつく事《こと》!
此《これ》を見《み》よ、人々《ひと/″\》。――
で、月《つき》が三《み》ツ四《よ》ツ出《で》て路《みち》を照《て》らすのも、案山子《かゝし》が飛《と》ぶのも、傘《からかさ》の車《くるま》も、其《そ》の車《くるま》に、と反身《そりみ》で、斜《しや》に構《かま》へて乗《の》つた像《ざう》の活《い》けるが如《ごと》きも、一切《すべて》自分《じぶん》の神通力《じんつうりき》の如《ごと》くに感《かん》じて、寝静《ねしづ》まつた宿屋《やどや》の方《はう》へ拳《こぶし》を突出《つきだ》して呵々《から/\》と笑《わら》つた。
『此《これ》を見《み》よ、人々《ひと/″\》。』
其時《そのとき》車《くるま》を真中《まんなか》に、案山子《かゝし》の列《れつ》は橋《はし》にかゝつた。……瀬《せ》の音《おと》を横切《よこぎ》つて、竹《たけ》の脚《あし》を、蹌踉《よろ》めく癖《くせ》に、小賢《こざか》しくも案山子《かゝし》の同勢《どうぜい》橋板《はしいた》を、どゞろ/\とゞろと鳴《な》らす。
『寝《ね》て居《ゐ》るに騒《さわ》がしい。』
と欄干《らんかん》が声《こゑ》を懸《か》けた。
『あゝ、気《き》の毒《どく》だ。』
とうつかり人間《にんげん》の雪枝《ゆきえ》が答《こた》へた。おや、と心着《こゝろづ》くと最《も》うざんざと川水《かはみづ》。
まだ可怪《おかし》かつたのは、一行《いつかう》が、其《それ》から過般《いつか》の、あの、城山《しろやま》へ上《のぼ》る取着《とつつき》の石段《いしだん》に懸《かゝ》つた時《とき》で。是《これ》から推上《おしあが》らうと云《い》ふのに一呼吸《ひといき》つくらしく、フト停《と》まると、中《なか》でも不精《ぶせう》らしい簑《みの》の裾《すそ》の長《なが》いのが、雲《くも》のやうに渦《うづま》いた段《だん》の下《した》の、大木《たいぼく》の槐《えんじゆ》の幹《みき》に恁懸《よりかゝ》つて、ごそりと身動《みうご》きをしたと思《おも》へ。
『わい、擽《くすぐつ》てえ。
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