、背《せ》に頸《くび》にかゝつたまゝ、美女《たをやめ》は、手《て》を額《ひたひ》に当《あ》てゝ、双六盤《すごろくばん》に差俯向《さしうつむ》いて、ものゝ悩《なや》ましげな風情《ふぜい》であつた。
「お姫様《ひめさま》、」
と風《かぜ》に曲《ゆが》んだ烏帽子《えばうし》の紐《ひも》を結直《ゆひなお》したが、老爺《ぢい》の声《こゑ》も力《ちから》が無《な》かつた。
「姫様《ひいさま》。」
と膝行《いざ》り寄《よ》つて、……雪枝《ゆきえ》が伸上《のびあが》るやうに膝《ひざ》を支《つ》いて、其《そ》の袖《そで》のあたりを拝《をが》んだ。
「頼《たの》まれたのに、済《す》みません。」
 二筋《ふたすぢ》三筋《みすぢ》、後毛《をくれげ》のふりかゝる顔《かほ》を上《あ》げて、青年《わかもの》の顔《かほ》を凝《じつ》と視《なが》めて、睫毛《まつげ》の蔭《かげ》に花《はな》の雫《しづく》、衝《つ》と光《ひか》つて、はら/\と玉《たま》の涙《なみだ》を落《おと》す。
 老爺《ぢい》も鼻《はな》を詰《つま》らせた。
 雪枝《ゆきえ》は身《み》を絞《しぼ》つて湧出《わきいづ》るやうに、熱《あつ》い、柔《やはらか》い涙《なみだ》が流《なが》れた。
「断念《あきら》めます、……断念《あきら》める……私《わたくし》はお浦《うら》を思切《おもひき》ります。何《ど》うぞ、其《そ》の代《かは》り、夢《ゆめ》でも可《い》い、夢《ゆめ》なら何時《いつ》までも覚《さ》めずに、私《わたくし》を此処《こゝ》に、貴女《あなた》の傍《そば》にお置《お》き下《くだ》さい。
 貴下《あなた》、生効《いきが》ひのない私《わたくし》、罰《ばち》も当《あた》れ、死《し》んでも構《かま》はん。」
と前倒《まへたふ》しに身《み》を投《な》げて、犇《ひし》と美女《たをやめ》の手《て》に縋《すが》ると、振《ふ》りも払《はら》はず取添《とりそ》へて、
「雪様《ゆきさま》。」
と優《やさ》しく言《い》ふ。
「え、」
 いや、老爺《ぢい》も驚《おどろ》くまいか。


       獅子《しゝ》の頭《かしら》


         四十六

「お懐《なつか》しい。私《わたし》は貴下《あなた》が七歳《なゝつ》の年紀《とし》、お傍《そば》に居《ゐ》たお友達《ともだち》……過世《すぐせ》の縁《えん》で、恋《こひ》しう成《な》り、いつまでも/\、御一所《ごいつしよ》にと思《おも》ふ心《こゝろ》が、我知《われし》らず形《かたち》に出《で》て、都《みやこ》の如月《きさらぎ》に雪《ゆき》の降《ふ》る晩《ばん》。其《そ》の雪《ゆき》は、故郷《ふるさと》から私《わたし》を迎《むかひ》に来《き》たものを、……帰《かへ》る気《き》は些《ちつと》も無《な》しに、貴下《あなた》の背《せな》に凭《より》かゝつて、二階《にかい》の部屋《へや》へ入《はい》りしなに、――貴下《あなた》のお父様《とうさま》が御覧《ごらん》の目《め》には、……急《きふ》に貴下《あなた》が大《おほ》きく成《な》つて、年《とし》ごろも対《つゐ》くらゐ、私《わたし》と二人《ふたり》が夫婦《ふうふ》のやうで熟《じつ》と抱合《だきあ》ふ形《かたち》に見《み》えて、……怪《あや》しい女《をんな》と、直《す》ぐに其《そ》の場《ば》で、暖炉《ストーブ》の灰《はい》にされましたが、戸《と》の外面《そとも》からひた/\寄《よ》る……迎《むか》ひの雪《ゆき》に煙《けむり》を包《つゝ》んで、月《つき》の下《した》を、旧《もと》の此《こ》の故郷《ふるさと》へ帰《かへ》りました。
 非情《ひじやう》のものが、恋《こひ》をした咎《とがめ》を受《う》けて、其《そ》の時《とき》から、唯《たゞ》一人《ひとり》で、今《いま》までも双六巌《すごろくいは》の番《ばん》をして、雨露《あめつゆ》に打《う》たれても、……貴下《あなた》の事《こと》が忘《わす》れられぬ。
 其《そ》の心《こゝろ》が通《つう》ずるのか、貴下《あなた》も年月《としつき》経《た》ち、日《ひ》が経《た》つても、私《わたし》の事《こと》をお忘《わす》れなさらず、昨日《きのふ》までも一昨日《おとゝひ》までも、思《おも》ひ詰《つ》めて居《ゐ》て下《くだ》さいましたが、奥様《おくさま》が出来《でき》たので、つひ余所事《よそごと》になさいました。
 それをお怨《うら》み申《まを》すのではない。嫉妬《ねたみ》も猜《そね》みもせぬけれど、……口惜《くちをし》い、其《それ》がために、敵《かたき》から仕事《しごと》の恥辱《ちじよく》をお受《う》け遊《あそ》ばす。……雲《くも》、花片《はなびら》の数《かず》を算《よ》めば、思《おも》ふまゝの乞目《こひめ》が出《で》て、双六《すごろく》に勝《か》てたのに、……唯《たゞ》一刻《いつこく》を争《あらそ》ふ
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