》なげに見《み》えた。
 一《いち》が起《お》き、六《ろく》が出《い》で、三《さん》に変《かは》り、二《に》に飜《かへ》り、五《ご》が並《なら》ぶ。天《てん》に星《ほし》の輝《かゞや》く如《ごと》く、采《さい》の目《め》の疾《と》く、駒《こま》の烈《はげ》しく動《うご》くに連《つ》れて、中空《なかぞら》を見《み》よ、岫《しう》を湧《わ》き、谷《たに》を飛《と》ぶ、消《き》えた雲《くも》が残《のこ》り、続《つゞ》く雲《くも》が累《かさな》り、追《お》ふ雲《くも》が結着《むすびつ》いて、雲《くも》はやがて厚《あつ》く、雲《くも》はやがて濃《こ》く、既《すで》にして近《ちか》くなり、低《ひく》く成《な》つた。……
 忽《たちま》ち一片《いつぺん》、美女《たをやめ》の面《おもて》にも雲《くも》の影《かげ》が映《さ》すよと見《み》れば、一谷《ひとだに》は暗《くら》く成《な》つた。
 鋭《するど》き山颪《やまおろし》が颯《さ》と来《く》ると、舞下《まひさが》る雲《くも》に交《まじ》つて、漂《たゞよ》ふ如《ごと》く菫《すみれ》の薫《かほり》が※[#「火+發」、182−14]《ぱつ》としたが、拭《ぬぐ》ひ去《さ》つて、つゝと消《き》えると、電《いなづま》が空《くう》を切《き》つた。……坊主《ばうず》の法衣《ころも》は、大巌《おほいは》の色《いろ》の乱《みだ》れた双六《すごろく》の盤《ばん》を蔽《おほ》ふて、四辺《あたり》は墨《すみ》よりも蔭《かげ》が黒《くろ》い。
 ト暗夜《あんや》の如《ごと》き山懐《やまふところ》を、桜《さくら》の花《はな》は矢《や》を射《ゐ》るばかり、白《しろ》い雨《あめ》と散《ち》り灌《そゝ》ぐ。其《そ》の間《あひだ》をくわつと輝《かゞや》く、電光《いなびかり》の縫目《ぬいめ》から空《そら》を破《やぶ》つて突出《つきだ》した、坊主《ばうず》の面《つら》は物凄《ものすさま》しいものである……
 唯《と》見《み》れば、頭《かしら》に、無手《むづ》と一本《いつぽん》の角《つの》生《お》ひたり。顔面《がんめん》黒《くろ》く漆《うるし》して、目《め》の隈《くま》、鼻頭《はなづら》、透通《すきとほ》る紫陽花《あぢさゐ》に藍《あゐ》を流《なが》し、額《ひたひ》から頤《あぎと》に掛《か》けて、長《なが》さ三尺《さんじやく》、口《くち》から口《くち》へ其《そ》の巾《はゞ》五尺《ごしやく》、仁王《にわう》の顔《かほ》を上《うへ》に二《ふた》つ下《した》に三《み》つ合《あ》はせたばかり、目《め》に余《あま》る大《おほき》さと成《な》つて、カチ/\と歯《は》の鳴《な》る時《とき》、鰐《わに》かと思《おも》ふ大口《おほぐち》を赫《くわつ》と開《ひら》いて、上頤《うはあご》を嘗《な》める舌《した》が赤《あか》い。
「騒《さわ》ぐまい、時々《とき/″\》ある……深山幽谷《しんざんいうこく》の変《へん》じや。少《わか》い人《ひと》、誰《たれ》の顔《かほ》も何《ど》の姿《すがた》も、何《ど》う変《かは》るか知《し》んねえだ! 驚《おどろ》くと気《き》が狂《くる》ふぞ、目《め》を塞《ふさ》いで踞《せぐゝま》れ、蹲《しやが》め、突伏《つゝふ》せ、目《め》を塞《ふさ》げい。」
と老爺《ぢい》が呼《よば》はる。
 雪枝《ゆきえ》はハツと身《み》を伏《ふ》せて、巌《いは》に吸込《すひこ》まれるかと呼吸《いき》を詰《つ》めたが、胸《むね》の動悸《だうき》が、持上《もちあ》げ揺上《ゆりあ》げ、山谷《さんこく》尽《こと/″\》く震《ふる》ふを覚《おぼ》えた。
 殷々《ゐん/\》として雷《らい》が響《ひゞ》く。
 音《おと》の中《なか》に、
「切《き》らう!」
と思切《おもひき》つた美女《たをやめ》の、細《ほそ》い透《とほ》る声音《こはね》が、胸《むね》を抉《えぐ》つて耳《みゝ》を貫《つらぬ》く。
「何《なに》を、切《き》ればと言《い》ふて早《は》や今《いま》は……乞目《こひめ》!」
と誇立《ほこりた》つた坊主《ばうず》の声《こゑ》が響《ひゞ》いたが。
「やあ、勝《か》つた。」
と叫《さけ》んで、大音《だいおん》に呵々《から/\》と笑《わら》ふと斉《ひと》しく、空《そら》を指《さ》した指《ゆび》の尖《さき》へ、法衣《ころも》の裙《すそ》が衝《つ》と上《あが》つた、黒雲《くろくも》の袖《そで》を捲《ま》いて、虚空《こくう》へ電《いなづま》を曳《ひ》いて飛《と》ぶ。
 と風《かぜ》の余波《なごり》に寂《しん》として、谷《たに》は瞬《またゝ》く間《ま》に、もとの陽炎《かげらふ》。
 が、日《ひ》の光《ひか》りやゝ弱《よわ》く、衣《きぬ》のひた/\と身《み》に着《つ》く処《ところ》に、薄《うす》い影《かげ》が繊細《かほそ》くさして、散乱《ちりみだ》れた桜《さくら》の花《はな》の
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