ゆきえ》は語《かた》り続《つ》ぐ声《こゑ》も弱《よわ》つて、
「漸《やつ》との思《おも》ひで此処《こゝ》まで来《き》て……先《ま》づ一呼吸《ひといき》と気《き》が着《つ》くと、あの躰《てい》だ。老爺《おぢい》さん、形代《かたしろ》の犠牲《にえ》に代《か》へて、辛《から》くもです、我《わ》が手《て》に救《すく》ひ出《だ》したとばかり喜《よろこ》んだのは、お浦《うら》ぢやない、家内《かない》ぢやない。昨夜《ゆふべ》持《も》つて行《い》つた彫像《てうざう》を其《そ》のまゝ突返《つゝかへ》されて、のめ/\と担《かつ》いで帰《かへ》つたんです。然《しか》も片腕《かたうで》捩《もぎ》つてある、あの采《さい》を持《も》たせた手《て》が。……あゝ、私《わたし》は五躰《ごたい》が痺《しび》れる。」と胸《むね》を掴《つか》んで悶《もだ》へ倒《たふ》れる。
天守《てんしゆ》の下《した》
三十六
聞《き》き果《は》てつ。……
飛騨国《ひだのくに》の作人《さくにん》菊松《きくまつ》は、其処《そこ》に仰《あふ》ぎ倒《たふ》れて今《いま》も悪《わる》い夢《ゆめ》に魘《うな》されて居《ゐ》るやうな――青年《せいねん》の日向《ひなた》の顔《かほ》、額《ひたひ》に膏汗《あぶらあせ》の湧《わ》く悩《なや》ましげな状《さま》を、然《さ》も気《き》の毒《どく》げに瞻《みまも》つた。
「聞《き》けば聞《き》くほど、へい、何《なん》とも言《い》ひやうはねえ。けんども、お前様《めえさま》、お少《わけ》えに、其《そ》の位《くらゐ》の事《こと》に、然《さ》う気《き》い落《おと》さつしやるもんでねえ。たかゞあれだ、昨夜《ゆふべ》持《も》つて行《ゆ》かしつた其《そ》の形代《かたしろ》の像《ざう》が、お天守《てんしゆ》の…何様《なにさま》か腑《ふ》に落《お》ちねえ処《ところ》があるで、約束《やくそく》の通《とほ》り奥様《おくさま》を返《かへ》さねえもんでがんしよ。だで、最《も》う一《ひと》ツ拵《こさ》えさつせえ。美《うつくし》い婦《をんな》の木像《もくざう》さ又《また》遣直《やりなほ》すだね。えゝ、お前様《めえさま》、対手《あひて》が七六《しちむづ》ヶしいだけに張合《はりえゝ》がある……案山子《かゝし》ぢや成《な》んねえ。素袍《すはう》でも着《き》た徒《てあひ》が玉《たま》の輿《こし》持《も》つて、へい、お迎《むかへ》、と下座《げざ》するのを作《つく》らつせえ。えゝ! と元気《げんき》を出《だ》さつしやりまし。」
「其処《そこ》です、老爺《おぢい》さん、」
と雪枝《ゆきえ》は草《くさ》を掴《つか》んで起直《おきなほ》つて、
「現在《げんざい》、其《そ》の苦《くる》しみを為《し》て居《ゐ》るお浦《うら》を救《すく》はんために製作《こしら》へたんです。有《あり》つたけの元気《げんき》も出《だ》した、力《ちから》も尽《つく》した。最《も》う為《し》やうがない。しかし此処《こゝ》で貴老《あなた》に逢《あ》つたのは天《てん》の引合《ひきあ》はせだらうと思《おも》ふ。
いや、其《それ》よりも此《こ》の土地《とち》へ来《き》て、夢《ゆめ》とも現《うつゝ》とも分《わか》らない種々《いろ/\》の事《こと》のあるのは、別《べつ》ではない、婦《をんな》のために、仕事《しごと》を忘《わす》れた眠《ねむり》を覚《さま》して、謹《つゝし》んで貴老《あなた》に教《をしへ》を受《う》けさせやうとする、芸《げい》の神《かみ》の計《はか》らひであらうも知《し》れない。私《わたし》は跪《ひざまづ》く、其《そ》の草鞋《わらぢ》を頂《いたゞ》く……何《ど》うぞ、弟子《でし》にして下《くだ》さい、教《をし》へて下《くだ》さい、而《そ》してお浦《うら》を救《すく》つて下《くだ》さい。」
「いや、前刻《さつき》船《ふね》の中《なか》で焚《や》けるのを向《むか》ふから見《み》た時《とき》な、活《い》きた人《ひと》だと吃驚《びつくり》しつけの。お前様《めえさま》一廉《ひとかど》の利《きゝ》ものだ。別《べつ》に私等《わしら》に相談《さうだん》打《ぶ》たつしやるに及《およ》ぶめえが、奥様《おくさま》のお身《み》の上《うへ》ぢや、出来《でき》る手伝《てつだひ》なら為《し》ずには居《ゐ》られぬで、年《とし》の功《こう》だけも取処《とりどこ》があるなら、今度《こんど》造《つく》らつしやるに助言《ぢよごん》な為《す》べいさ。まあ、待《また》つせえよ、私《わし》が今《いま》、」と狸《たぬき》のやうな麻袋《あさぶくろ》をふらりと、腰《こし》を伸《の》して、のつそりと立《た》つた。
旭《あさひ》さす野《の》を一人《ひとり》、老爺《ぢゞい》は腰骨《こしぼね》に手《て》を組《く》んで、ものを捜《さが》す風《
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