》に、雲《くも》の簇《むら》がるやうな奥《おく》に、祠《ほこら》の狐格子《きつねがうし》を洩《も》れる灯《ひ》が、細雨《こさめ》に浸《にじ》むだのを見《み》ると――猶予《ためら》はず其方《そちら》へ向《む》いて、一度《いちど》斜《はす》に成《な》つて折曲《をれまが》つて列《つらな》り行《ゆ》く。
 其時《そのとき》気《き》に懸《かゝ》つたのは、祠《ほこら》の前《まへ》を階《きぎはし》から廻廊《くわいらう》の下《した》へ懸《か》けて、たゞ三《み》ツ五《いつ》ツではない、七《なゝ》八《や》ツ、それ/\十《と》ウにも余《あま》る物《もの》の形《かたち》が、孰《どれ》も土器色《かはらけいろ》の法衣《ころも》に、黒《くろ》い色《いろ》の袈裟《けさ》かけた、恰《あだか》も空摸様《そらもやう》のやうなのが、高《たか》い坊主《ばうず》と低《ひく》い坊主《ばうず》と大《おほき》な坊主《ばうず》と小《ちひ》さな坊主《ばうず》と、胡乱々々《うろ/\》動《うご》いて、むら/\居《ゐ》る……
『やあ、お浦《うら》を嬲《なぶ》る、』
と前《まへ》へ行《ゆ》く案山子《かゝし》どもを、横《よこ》に掠《かす》めて、一息《ひといき》に駆《か》け着《つ》けて、いきなり階《きざはし》に飛附《とびつ》いて、唯《と》見《み》ると、扨《さて》も、寄《よ》つたわ、来《き》たわ。僧形《そうぎやう》に見《み》えた有《あ》りたけの人数《にんず》は、其《それ》も是《これ》も同《おな》じやうな案山子《かゝし》の数々《かず/\》。――割《わ》つて通《とほ》つた人間《にんげん》の袖《そで》の煽《あふ》りに、よた/\と皆《みな》左右《さいう》に散《ち》つた、中《なか》には廻廊《くわいらう》に倒《たふ》れかゝつて、もぞ/\と動《うご》くのもある。
 正面《しやうめん》に伸上《のびあが》つて見《み》れば、向《むか》ふから、ひよこ/\来《く》る三個《みつゝ》の案山子《かゝし》も、同《おな》じやうな坊主《ばうず》に見《み》えた。
 扉《とびら》を入《はい》ると、無事《ぶじ》であつた。お浦《うら》を其《そ》のまゝの彫像《てうざう》は、灯《ひ》の影《かげ》にちら/\と瞳《ひとみ》も動《うご》いて、人待顔《ひとまちがほ》に立草臥《たちくたび》れて、横《よこ》に寝《ね》たさうにも見《み》えたのである。
 下《した》に敷《し》いた白毛布《しろけつと》の上《うへ》には、所狭《ところせま》く鑿《のみ》も鉋《かんな》も散《ちら》かり放題《はうだい》。初手《しよて》は此《こ》の毛布《けつと》に包《くる》んで、夜路《よみち》を城趾《しろあと》へ、と思《おも》つたが、――時鳥《ほとゝぎす》は啼《な》かぬけれども、然《さ》うするのは、身《み》を放《はな》れたお浦《うら》の魂《たましひ》を容《い》れたやうで、嘗《かつ》て城《じやう》ヶ|沼《ぬま》の縁《ふち》で旅僧《たびそう》の口《くち》から魔界《まかい》の暗示《あんじ》を伝《つた》へられたゝめに――太《いた》く忌《いま》はしかつたので、……権七《ごんしち》に取寄《とりよ》せさした着換《きがえ》の衣《きぬ》は、恰《あたか》も祠《ほこら》の屋根《やね》に藤《ふぢ》の花《はな》が咲《さ》きかゝつたのを、月《つき》が破廂《やぶれひさし》から影《かげ》を落《おと》したやうに届《とゞ》いて居《ゐ》た。然《しか》も燃《も》え立《た》つばかりの緋《ひ》の扱帯《しごき》は、今《いま》しも其《そ》の腰《こし》のあたりをする/\と辷《すべ》つた如《ごと》く、足許《あしもと》に差置《さしお》かるゝ。
 縋着《すがりつ》けば、ころ/\と其《そ》の掌《たなそこ》に秘《ひ》めた采《さい》が鳴《な》つた。
『ござるか。』
『…………』
『ござるか、ござるか。』
と蚯蚓《みゝず》の這《は》ふやうな声《こゑ》が階《きざはし》の処《ところ》で聞《きこ》える。
『誰《たれ》だ。』
と、うつかり、づゝと出《で》ると、つひ忘《わす》れた……づらりと其処《そこ》に案山子《かかし》ども。


       バサリ


         三十三

 其《そ》の中《なか》の孰《いづ》れが言《ものい》ふ? 中気病《ちゆうきやみ》のやうな老《ふ》けた、舌《した》つ不足《たらず》で、
『おねんぎよ。』と言《い》ふ。
『おねんご。』
と又《また》訴《うつた》うる。……
 糠雨《ぬかあめ》の朧夜《おぼろよ》に、小《ちひさ》き山廓《さんかく》の祠《ほこら》の前《まへ》。破《やぶ》れ簑《みの》のしよぼ/\した渠等《かれら》の風躰《ふうてい》、……其《そ》の言《い》ふ処《ところ》が、お年貢《ねんぐ》、お年貢《ねんぐ》、と聞《きこ》えて、未進《みしん》の科条《くわでう》で水牢《みづらう》で死《し》んだ亡者《もうじや》か、百姓一揆《ひやくしや
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