来《き》て用《よう》を達《た》してくれたのは其《そ》の男《をとこ》で。時《とき》とすると、二時三時《ふたときみとき》も傍《そば》に居《ゐ》て熟《じつ》と私《わたし》の仕事《しごと》を見《み》て居《ゐ》る。口《くち》も出《だ》さず邪魔《じやま》には成《な》らん。
 で、下仕事《したしごと》の手伝《てつだひ》ぐらゐは間《ま》に合《あ》つたんです。」
と雪枝《ゆきえ》は更《あらた》めて言《い》つた。
「処《ところ》で、一刻《いつこく》も疾《はや》く仕上《しあ》げにしやうと思《おも》ふから、飯《めし》も手掴《てづか》みで、水《みづ》で嚥下《のみおろ》す勢《いきほひ》、目《め》を据《す》えて働《はたら》くので、日《ひ》も時間《じかん》も、殆《ほと》んど昼夜《ちうや》の見境《みさかひ》はない。……女《をんな》の像《ざう》の第一作《だいいつさく》が、まだ手足《てあし》までは出来《でき》なかつたが、略《ほゞ》顔《かほ》の容《かたち》が備《そな》はつて、胸《むね》から鳩尾《みづおち》へかけて膨《ふつく》りと成《な》つた、木材《もくざい》に乳《ちゝ》が双《なら》んで、目鼻口元《めはなくちもと》の刻《きざ》まれた、フトした時《とき》……
『どうだ、大分《だいぶ》ものに成《な》つたらう、』と聊《いさゝ》か得意《とくい》で。丁《ちやう》ど居合《ゐあ》はせた権七《ごんしち》の顔《かほ》を目《め》を挙《あ》げて恁《か》う見《み》ると……日《ひ》に焼《や》けた色《いろ》の黒《くろ》いのが又《また》恐《おそ》ろしく真黒《まつくろ》で、額《ひたひ》が出《で》て、唇《くちびる》が長《なが》く反《そ》つて、目《め》ががつくりと窪《くぼ》んだ、其《そ》の目《め》がピカ/\と光《ひか》つて、ふツふツ、はツはツ、と喘《あへ》ぐやうな息《いき》をする。……


       供揃《ともぞろ》へ


         三十

 いや、其《そ》の息《いき》の臭《くさ》い事《こと》……剰《あまつさ》へ、立《た》つでもなく坐《すは》るでもなく、中腰《ちゆうごし》に蹲《しやが》んだ山男《やまをとこ》の膝《ひざ》が折《を》れかゝつた朽木《くちぎ》同然《どうぜん》、節《ふし》くれ立《だ》つてギクリと曲《まが》り、腕組《うでぐみ》をした肱《ひぢ》ばかりが胸《むね》に附着《くつつ》き、布子《ぬのこ》の袖《そで》の元《もと》へ窄《せばま》つて両方《りやうはう》へ刎《は》ねた処《ところ》が、宛然《さながら》の翼《つばさ》。
『権七《ごんしち》ぢやない! 小天狗《こてんぐ》が、天守《てんしゆ》から見張《みは》りに来《き》たな。』
 思《おも》はず突立《つゝた》つと、出来《でき》かゝつた像《ざう》を覗《のぞ》いて、角《つの》を扁平《ひらた》くしたやうな小鼻《こばな》を、ひいくひいく、……ふツふツはツはツと息《いき》を吹《ふ》いて居《ゐ》たのが、尖《とが》つた口《くち》を仰様《のけざま》に一《ひと》つぶるツと振《ふる》ふと、面《めん》を倒《さかさま》にしたと思《おも》へ。
 彫像《てうざう》の眼球《がんきう》をグサリと刺《さ》した。
 はつと思《おも》へば、烏《からす》ほどの真黒《まつくろ》な鳥《とり》が一羽《いちは》虫蝕《むしくひ》だらけの格天井《がうでんじやう》を颯《さつ》と掠《かす》めて狐格子《きつねがうし》をばさりと飛出《とびだ》す……
 目《め》一《ひと》つ抉《えぐ》られては半身《はんしん》をけづり去《さ》られたも同《おな》じ事《こと》、是《これ》がために、第一《だいいち》の作《さく》は不用《ふよう》に帰《き》した。
 ……余《あま》りの仕儀《しぎ》に唯《たゞ》茫然《ばうぜん》として、果《はて》は涙《なみだ》を流《なが》したが、いや/\、爰《こゝ》に形《かたち》づくられた未製品《みせいひん》は、其《そ》の容《かたち》半《なか》ばにして、早《はや》くも何処《どこ》にか破綻《はたん》を生《しやう》じて、我《わ》が作《さく》を欲《ほつ》するものゝ、不満足《ふまんぞく》を来《き》たしたのであらう――いかさまにも一《ひと》つ残《のこ》つた瞳《ひとみ》を見《み》れば、お浦《うら》の其《それ》より情《なさけ》を宿《やど》さぬ、露《つゆ》も帯《お》びぬ、……手足《てあし》既《すで》に完《まつた》うして斧《をの》を以《もつ》て砕《くだ》かれても、対手《あひて》が鬼神《きじん》では文句《もんく》はない筈《はづ》。力《ちから》を傾《かたむ》け尽《つく》さぬうち、予《あらかじ》め其《そ》の欠点《けつてん》を指示《さししめ》して一思《ひとおも》ひに未練《みれん》を棄《す》てさせたは、寧《むし》ろ尠《すくな》からぬ慈悲《じひ》である……
 で、直《たゞ》ちに木材《もくざい》を伐更《きりあらた》めて、第二《だいに》の像《
前へ 次へ
全71ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング